氣功世界

2009年11月 1日 (日)

導引法と音楽

 最近、品川和尚のディメンション・オペの魅力にすっかり嵌まってしまい、施療においてもD・Oを多用するようになっておりました。
それほどディメンション・オペの効用はすごいのですが、時には「気功法」についても書かないといけませんね。

 今月から気功教室では、「導引法」講座についてある変化をつけております。
今までの教室では、「氣」の働きを重視し、病対策、衰運改善などのため「氣の確認」を最重要点として学んできました。
その効果を高めるため、スワイショウや立禅、そして「陽の氣」向上の導引法などを主な項目として勉強してきたのです。
この「陽の氣」主体の導引法から、「陰の氣」主体の導引法に替えてみたのです。

 面白いことが判ってきました。
「陰の氣」の導引法が、品川和尚に教えていただいた氣の流れに大変フィットするような感覚があるのです。
生徒の皆さんはまだ感じてはいないようですが、(一部の方は感じておられるようですが・・・)導引法の2番を初めて教室で披露したとき、素晴らしい氣の感覚を感じました。
今までは「陰の導引法」は6番目だけしか稽古に取り入れてこなかったのですが、9月の「山稽古」のとき、たまたま持ち込んだ資料の中に「2番目、4番目」の陰の導引法の資料が含まれておりました。
懐かしさもあり、久しぶりに陰の導引法の稽古をしてみました。
これが「嵌まった」のですね。
面白いことに、この稽古をしながら思い出したことがあるのです。
私の若かりし頃・・・’60年代に嵌まっていたカンツォーネです。
愛の歌でありながら、何故か哀愁を帯びた旋律は若い私達を虜にしたものです。
親友と二人、吉祥寺のオデオン座にイタリア映画を観に行き、帰り道に口ずさんだ曲のいくつかが、頭の中で甦ってきたのです。

 この状況が何なのかは分かりません。
しかし、楽しい感覚であることは間違いありません。
生徒の皆さんに面白い反応が起きているのも、楽しいことです。
しばらくは「陰の導引法」2番、4番を重点的に行ってみようと思っています。

 秋葉原まで行き、カンツォーネのCDを数枚買ってきました。
有難いことに、私達が熱狂した’60年代の歌手の曲が全部ありました。
今夜も、その曲を聴きながら楽しんで稽古しております。
音楽は本当に素晴らしいですね。
再来週には武道館に「アリス」のコンサートを聴きにいってきます。
アリスのメンバー、矢沢透さんからチケット確保の連絡をいただきましたので・・・。
その後は当然、六本木の「阿雅左」で一杯ですね。

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2009年3月 4日 (水)

始まりの始まり!

 昨日、第一歩が踏み出されました!
「樹徳館氣功」がどこまで到達できるのか・・・。
本当の意味で、始まりのはじまりです。
どこまでの高みへ導くことができるのか・・・、もちろん、大きな責任も感じております。
会員の皆さんや、そのほか大勢の方々のご協力も不可欠ですが、まずは私自身の責任と努力が必要なことは自覚しております。
あせらず、一歩一歩着実に進んで行く事に致しましょう。

 俄然、意欲が増してきております。
このようなチャンスをいただけた事に感謝いたします。
誠に、有難うございました。

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2008年3月25日 (火)

レイキ伝授

 皆さんは、「レイキ」をご存知ですか?
レイキ伝授を受けると、21日間の自己ヒーリングを終えた後、気功師と同じように氣を発することができるのです。
もともとは、日本人の臼井甕男氏という方が伝承されていたのですが、戦後消滅したと思われていました。ところが、幸いにもハワイに在住する方が「レイキ」一式を伝承されていて、今では全世界で数十万人の方が親しんでいるという「技」です。
私も、この技の有意義さを知り、数年前に小林紀水先生から伝授を受けました。また昨年には木村和夫先生から、よりクオリティの高い「ハイパーレイキ」の伝授を受けました。
この二つの伝授を受けたことにより、私の気功施療のパワーが数段上がったのではないかと密かに自負しておりました。

 「高みを望む者には、より高い峰が現われるものだ。」と教えてくれたのは、今は亡き劉老師、小林美元先生、そしてアメリカ在住の厳新先生という先達の方々でしたが、本当にその通りでした。
「九元レイキ」という技があります。
昨日、この「九元レイキ」の伝授を受けました。
驚きました!
この世には、まだまだ未知の世界があります。
伝授を受けている間中、鳥肌が立つ思いでおりました。
スゴイのです。言葉では言い表せないほどスゴイのです。
特に、「霊台」に氣を送っているとき、目を閉じている私の、その眼の裏は緑色の色彩でいっぱいでした。
その中に、しっかりと銀色に輝く珠が見えました。
何かはわかりません。
しかし、何か素晴らしいものであることは直感しました。
21日間の自己フィーリングを終えたあとで、また皆さんにご報告いたします。
とりあえず、「九元レイキ」恐るべし!という報告でした。

 昨日は、夜8時ごろから「パスタパーティ」となりました。
あいにく、パーティ会場となった我が室が狭いので、一部の方のみとなってしまいましたが、断続的に行い、全ての方に参加していただこうと思っておりますので、今回参加できなかった方々、どうぞお許しください。次回の参加を心からお待ちしております。
もちろん、次回も「道上ワイン」も「森伊蔵」も「イベリコ豚」もたっぷり用意させていただきますよ。
一番心配していた私の手料理パスタも、どの種類も残さず食べていただけたので、ホッとしました。
一番手間のかからない「イカスミパスタ」が一番旨かったという評価には少々複雑な思いも・・・(笑)。
ともあれ、皆さん大いに飲み、笑い、楽しいひと時でした。
幹事から、今年は回数を増やして行うという案がでましたので、楽しみです。楽しいことは、いつでも大歓迎ですから・・・。

ともあれ、皆さん有難うございました。
岩手の M さん、次回待ってますよ!!

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2008年1月30日 (水)

・・・

 私の、初めての気功の師、加藤武揚先生が、逝きました。
今日、佛生舘道場の宮本館長が来られ、報告してくれました。
・・・残念です。
しかし、霊格の高い人は今生の修業時間が短いものだ、と思い込もうとしています。

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2008年1月20日 (日)

気功師

 今日は、私が初めて気功を教えていただいた K師の病気見舞いに行ってきました。
つくばの病院に入院している師は、すでに意識はありませんでした。
なんとかと思い、しばらく頑張って留まっていましたが、とうとう最後まで目をあけることはありませんでした。
まだ64歳になったばかりなのに・・・。ガンが全身に転移して医学的にはほどこしようがないという医者の説明です。栄養剤をうつだけで治療そのものはすでに何もしていないということでした。
 昨年お会いしたとき、その症状は西洋医学では治らない危険性があるからぜひにでも私のところまで来てほしいと言い続けたのですが、シャイな先生は一度しか来られませんでした。M館長はそれから毎週来られているので、いつも師も一緒にも来れば良いのになア、と言ってたのですが・・・。
 今日は、奇跡を願ってきました。意識が無く、治療も全て止めてしまった師の回復にはもう奇跡を願うしかないのか・・・。

 この二年で、私は3人の気功師仲間を失ってしまいました。ここで師までとなると少なからずショックです。なんとか奇跡が起きてほしいものです。
 K師は、いわゆる気功の天才とも呼べる人です。
その能力は驚くべきものです。唖然とさせられる出来事が多々ありました。
一つ一つの事例をあげたら、おそらくほとんどの人は眉にツバ付け疑うことでしょう。
しかし、その一つ一つは紛れもなく私の目の前で起り、私が気功師の道に入る大きなきっかけとなったものです。
 この二年で失った3人の気功師仲間も、まぎれもなく本物の能力者でした。
本物ゆえ自分の身体を犠牲にしたとも云えるかもしれません。本物には何かしら「医者の不養生」的なところがあります。
私が生徒の皆さんに常々注意をしているところですが、私自身、昨年あわやというところまで行き、九死に一生を得たばかりですが、もう一度自分自身を含めて気功治療をする人に注意をしなければならないと感じています。
K師も、事故を起こし医者にも見離された状態の自分の長男の施療にかなりの力を使ったと聞いています。今日お見舞いしたところ、その長男がかいがいしく看病していました。涙がでました。ある意味で、師は本望かもしれません・・・。
 私たちの使命と云えるかもしれません。私も、何も恐れず、私を必要としてくださる方々のために、これからも全力を尽くすことを師に心で約束してきました。

 
 

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2008年1月15日 (火)

リニューアル

 今日からホームページがリニューアルされました。
米国在住の世界的気功師「厳新先生」の教えに次のような言葉があります。
「一連の定まった氣功の形にこだわらないこと。つまり、氣功には必ずこうしなければならないという練習法はない。しかし、全ての練習法には一つの指針がある。それは一つの練習法を学んである程度習得したなら、いつまでも同じ練習法をやり続けるべきではないということです。自分の年齢、性別、体質、環境、心理状態などの要素に基ずいて、絶えず他の氣功も勉強し、いままでの氣功練功法を修正してゆく必要がある。それは氣功法がこれからも発展する功法であるからである。
また全ての練功法は一つの目標に帰させなければならない。つまり、氣功の原則や要領に帰させることである。
功徳、道徳と品徳を重んずることは氣功の原則で、その原則に従わなければならない。(中略)そして氣功の目標を高いレベルのものにしなければならない。
「漏尽通」「佛眼通」などの長寿を達成すること。そして、「佛光普照」「礼義エン明」「普渡衆生」および慈善事業をおこなうことも、全て氣功の目標である。(エンはクニがまえに員)」

 私の師、劉老師が常々世界一の氣功師と言われていた「厳新先生」のこの言葉は私の氣功活動の基盤となってきました(直接教えを受けたことは、たった一度しかありませんが)。
面白いことに、厳先生の教えを実践していくと、氣功練功以外のことに対してもこの教え通りにしたくなるものです。つまり毎日少しずつでも何かを改良して行きたくなるのです。
樹徳館の案内書などは毎回内容が変わっていきます。氣功教室で生徒の皆さんに配布する資料も少しずつ変わっています。厳先生の言うように「発展」しているかどうかは定かではありませんが、自分ではそのつもりで変えています。
 今回、ホームページをリニューアルしたのも同じようなことです。
前回のホームページと比べてどうでしょうか、見やすくなっているでしょうか。もっともっと変化させていくつもりです。ご指導、ご意見お願いいたします。

 先日、 K 君と二人でいるところで家元に会いました。
家元は何かただならぬ様子で、今から深夜バスに乗って岩手に行くと言うのです。まさにその言われた日に岩手地方で震度3の地震が起りました。以前の箱根の件といい本当に驚くべきお方です。K 君と顔見合わせて驚いてしまいましたよ。本当に有難い人です。

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2007年11月23日 (金)

新しいこと

 今日は、つくば市から「佛生舘道場」の関係者の方々が、宮本館長に連れられて見えられましたよ。
宮本館長は今タイ国のハーブに嵌っており、その功能に驚き、日本でもこのハーブ類を広めようと活動されております。その商品名を私が依頼され、例によって数霊と真麻邇法を用いて名付けましたよ。
国の認可が下りたそうで、来年早々には販売開始とのこと。なかなかに効果的なので、楽しみです。
特に、目と腎臓に薬功があるハーブは、飲み口も良く楽しみです。

 夜、白門会の月例会に参加しようと思っていたのですが、これまたつくば市のほうから来客があり、御茶ノ水行きをキャンセルして、夕食を共にしました。
筑波大の関係の方々で、どうしても私に会わせたい人がいるとのことで、初めて会う中国人の方とご一緒でした。
 田端には残念ながら美味しい中華料理の店がありませんので、上野まで足を延ばして焼肉を食べてきました。6人で食べる夕食はホント楽しかったですよ。

 夕食を終えて田端に帰ってきてから、その中国人の方に(名前は王さんという方ですが)太極拳を教えていただきました。「陳式太極拳」という型で、二十四式と四十八式、陳式気功法と心意拳そして陳式発ケイ法を2時間以上も教えていただきましたよ。
もちろん、私はそんなに覚えきれないので、デジカメでシッカリ撮影しましたけどね。
楊式簡化太極拳に慣れた私には、不思議な感じのする太極拳ですが、新鮮で非常に魅力的な太極拳です。
発ケイも面白い氣の出し方をする技で、マスターするまで何度か教えていただくことになりましたよ。一月半ばまで、筑波に滞在するとのことで、今から稽古が楽しみです。

 昨日といい今日といい、新しいことを学ぶということは本当に楽しいことです。また私の「財産」が増えそうです。誠に、有難うございます。

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2007年10月31日 (水)

気功と師

 ・・・貴方の気功法は何流ですか?そしてどのような特徴的効果がありますか?という質問を受けるときが時たまあります。今日、初めてお会いした方からも同じような質問が投げかけられました。
そんな時、私はいつも次ぎのように答えることにしています。
「私の気功法は、利益享受型気功法ですよ」、と・・・。
相手の方は、少し怪訝な顔をする場合が多いですが、私が目指すのは、本当に、運勢が上昇することと、病気が少しでも癒されるためにということだけなのです。
だから、運勢の方はともかく、病気が治るということに関しては、「なんでもあり」という思いを強く持っています。日本での気功世界での第一人者と目される「帯津良一先生」が同じことを述べられるのを聞いたとき、心の中で喝采の声をあげたほどです。
 私の理想とするところは、全ての人々が幽・現、境を異にする時まで、健康で働けることなのですが、まだまだ、病いで斃れる人の数は多く、理想とはかけ離れた状態です。
私の師匠の劉老師、そして厳新先生にたびたび教えられました。「病いで亡くなる人がいるうちは気功法は完成していない。途上である。日々努力して能力の向上を計らなければいけない。」まったくその通りで、「途上人」である私も、もっともっと努力して力をつけなければなりません。

 そんな私に、今日思いがけないプレゼントがありました。
以前にも書いたことですが、私は本当に師匠に恵まれています。
物心つくかつかない子供のころ、長和尚に教えられ、気功世界では劉先生、王先生、厳先生に出会うことができ、古神道の世界では、安藤先生、そして小林先生に出会うことができました。(不思議なことに、密教の師、長和尚と気功の師、劉老師、そして古神道を初めて教えていただいた小林先生の御三人の名が三人とも同じ「ビゲン」という音なのです)
 そして、今の師匠が一昨年「斎主正一級位」の号を頂いた「藤原家元」先生です。
その家元から今日、伊勢神宮での修業の話をいただきました。
うれしくてたまりません。
感じる人は分かると思いますが、伊勢神宮の修業をさせていただくと、なにか見えない力が授かるように感じるのです。いや、感じるのではなく、たしかに授かるのです。
ハーバード大学のリサ・ランドール教授が「5次元時空論」を唱えてアインシュタイン以来の大発見かと騒がれていますが、同じような別次元の存在を感じ、その次元から確かな「力」を受ける感覚があるのです。
 私が驚喜したのも分かっていただけると思います。
昨日と今日の二日間、二人の生徒さんと稽古をしていたのですが、昨日は三度、そして今日も「差し入れ」を戴き、三人で大喜びしていたのですが、最後に私に大きなプレゼントです。頑張って伊勢神宮を訪問し、「途上人」の私の力を少しでも上げてくるつもりです。

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2007年10月22日 (月)

元極学

 昨夜は、田舎に帰り英気を十分に養って帰ってきました。
また一週間楽しく頑張りますよ。
今朝の稽古までの時間が少し空いていたので、土曜日に仲間の一人に頂いた「元極学」の資料を読んでみました。
驚きました。以前(といっても十年ほど昔なのですが・・・)、元極学は学んでいたはずなのですが、非常に新鮮なのです。懐かしい新鮮さとでもいうのでしょうか・・・。
「意識」や「シンボル」・「真言」という言葉に接しても忘れていることが多く、慌てて昔の書を引っ張り出して読み返すしまつ。
最近、とみにその能力をあげてきた?「忘却力」のためか、その昔の書も始めて接するように新鮮なのです。
・・・反省します。最近、年齢のせいか今現在の知識・力を過信していたようです。
時々、原点に戻って勉強し直さなければいけませんね。
資料をくれた仲間に感謝、感謝です。

 今朝の稽古は「第一次元の功訣」・・・功訣Ⅰを練習することにしましょう。
   カン山填海平波浪   カン山填海波浪を平らげ (カンは手偏に感)
   金津玉液長霊苗    金津玉液 霊苗が生ずる
   了死却生長生路    了死却生長生の路
   陰陽交合楽逍遥    陰陽交合 逍遥として楽しむ
 アン ジン ミー ピー ジー パー ヤー イン ホア ディン
これは、下丹田を修養する専用訣で、意味は次のようになります。
カン山填海 波浪を平らげ・・・「山」は心臓で「海」は腎臓です。「波浪」は雑念などの体内の騒音、即ち末性。「金津玉液」は修練で五臓のエネルギーが口に上がり、集まってできた津液です。「了死却生長生の路」ー修練では生と死の意味は肉体についてのことではなく、陰陽の運動・転化の規律を指す。「了死却生」はその規律を知ることです。具体的にいえば、下丹田を修練する場合、エネルギーを陰脈に沿って順行させ消耗させない等々を知るべきだということです。「長生の路」は下黄庭を修練し、中脈を貫通させて「和」即ち「不老不死」の境界に達することです。(張志祥「元極学」より)
 詳しくはまた稽古のとき説明しますね。本当に面白い気功法ですよ。

 オッと・・・もう午前4時を20分ほど過ぎました。では稽古に入りますので、次回をお楽しみに・・・。

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2005年12月14日 (水)

これからの氣功世界

 いま私は、氣功法をベースに、異なった世界に存在する「力」を結集し、健康を保ち、運勢をよくする方策を確立したいと考えております。自身の健康を確保しつつ、求める人々の健康に寄与するということは、いまのところ一定の成果をもたらしてはおります。

 しかし、人間の可能性はこんな程度であるはずがない、というのが私の考えです。       先人の作り上げた方法に、それなりの「力」が存在することはもちろんですが、前述したように「氣功法」は発展する行法なのです。まだまだ、未知の力を秘めているに相違ありません。一歩先に、私達の見知らぬ「力」の存在する世界があるに違いありません。そう思うと、ワクワクする気持ちを抑えることが出来ません。稽古にも力が入るというものです。

 氣功の世界の重鎮、帯津良一博士が、病気治療や健康維持の方法論について語られるとき「何でもあり」ということをよく述べられます。まったくそのとおりであると思います。その「何でも」の部分に、もっともっと新しい「力」を見つけ出したいものです。

 「新しい力」を生み出すことが出来るのか・・・。

 どんな新しい発見と出会えるのか・・・。

 そしてまた、その道程で何が起こるのか・・・。

 人生半ばからの挑戦ではありますが、私はこの人生で必ず何かを生み出すことが出来ると信じております。

 これまでの、私と氣功との関わりについて簡単に振り返ってみました。次は、現在の私の「氣功力」の可能性と限界について客観的に見つめなおしてみたいと思っております。少し時間をください。

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