日記・コラム・つぶやき

2016年6月 3日 (金)

映画制作でご無沙汰しました

 ながい、ながいご無沙汰でした。
この一年の出来事をお知らせいたします。
あまりにも沢山の出来事がありましたので、今回は一つだけお知らせいたします。

 まず、一番ショックを受けた出来事、母親が逝きました。
幾つになっても親の死というものはショックな出来事です。
しかし、そのことで霊界というか、人間は死んでも魂は存在するのだということがハッキリ認識できました。
そのような現象が起こりました!
そしてまた、人間は自分の死を予知できるのだということも分かりました。
母が死ぬ二日前に、私に話がある、これが最後の機会である……、と云い1時間半ほど話し込みました。それが土曜日の夜であり、母が逝ったのが月曜日でした。
それまで高齢ではありながら亡くなるような体調ではなかったので、家族は呆然とするばかりではありました。
 
 一周忌の法要が終わった今でも、あの夜の会話ははっきりと覚えております。
最近頓に記憶力が衰えてきた私にしては不思議なことです。
それからです!
不思議なことが立て続けに起こりました。
会話の中で、妣が私に望むことをいくつか託していきました。
その中には到底実現不可能な望みもありました。
写真家であった妣は、俳優から同じ写真家になった祖父の夢「映画制作」について希望があるということを語りました。
能力的にも資金的にも到底無理な話です。
ところが、それから恐ろしいことが起き始めました。
私に、映画制作に必要な資金とスタッフが揃い、創るべき映画の題材さえ提供されたのです!
そればかりか、異なる世界に足を踏み入れ始めていたことからも逃れることができたのです。

 それが決定したのは、なんと妣の49日法要を営んでいる、まさにその時だったのです。
不思議な出来事はそれからも次々と起こり、あれよあれよというまに映画制作に入り、とうとう今年の4月にはクランクアップしてしまいました。
現在編集中ですが、大勢の人々の協力を得て映画完成まで漕ぎつきました。
200人を超す仲間の応援を得て、素人の私がなんと「統括プロデューサー」という大役を成し遂げてしまったのです。
おまけに、主題歌の作詞までまかされたのですが、指導霊が降りたとしか思えないトランス状態になり完成させることができました。

 来る12月3日から公開される予定の映画は、明治時代に浅草の六区歓楽街をつくった二人の筑波人の物語です。
題名は「(仮)浅草・筑波の喜久次郎」と名付けました。
主演は松平健さん、ジャニーズの長谷川純さん、脇を固めるのが田村亮さん、星由里子さん、秋吉久美子さん、新人の女優さん、水町レイコさん、……。
そしてそして、なんと北島三郎御大がじつに32年ぶりに映画出演を快諾してくれました。
16才のアイドルグループから御大まで実に多様なキャストとなりました。
権利の関係で今はまだ写真など詳しいことをアップすることはできませんが、試写会が始まり、TV(日本テレビ系)で番宣などが始まる頃、このブログでも詳しくお伝えすることが出来ると思います。

 このほかにも沢山の不思議が起こり、まさに驚天動地の心境です。
それらの不思議は、氣功教室などで少しずつ披露していくつもりですが、今月ある神社に行ってきてから、許されるならこのブログでも公開していきたいと考えております。

 ともあれ、この世は不思議だらけです。
以前には疑心暗鬼になったであろう事柄も、今では裏打ちできる根拠を持って披露できるようになりました。

 出来るだけ多く、このブログを更新したいと望んでおります。

 むらさき山哀歌(エレジー)
        作詞 佐藤重樹  作曲 新田目聖子

遙かに霞む 北の山 まるで私を 見守るように
恋に敗れて 夢破れ 乱れる心に しずり雪
時を愛して 傷つくときも 安らぎとどく 遠くから
悲しいことも 苦しみも 岩で砕いて 男女ノ川
もう一度 もう一度 むらさき山に 生まれたい 
山眠るとき 筑波山 永遠に夢見る 女山

南に望む 富士の山 巣立つお前を 導くように
ひかりが消えて 迷い人 はなかき心に 梅の雪
時を愛して さまようときも 命燃やして 振り向かず
嬉しいことも 思い出も せせらぎにのせ 櫻川
もう一度 もう一度 むらさき山に 戻りゃいい
山笑うとき 筑波山 陰で支える 男山

万葉の 山に抱かれて 桜池
遙か輝く 霞浦の水
絆の愛に 結ばれて
桜吹雪を 歩きます

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2015年4月 4日 (土)

お久しぶりです!

 実に八ヶ月ぶりのブログです!

 ガンについての考察を書き始めようと思ったとたん、不思議な出会いがありその経緯を見極めてからブログ更新しようと思っていたら今日まできてしまいました。

 ガンについての考察については、今月から改めて書き始めますが、まずはその出会いのお話です。

 その方は、ある大学の先生ですが実にユニークというか、野人のような先生です。
開成高校-東京大学-MITとまさに天才秀才の典型的なコースで学ばれ、ある「とんでもないもの」の製作に携わっていたという、まるで雲の上の人なのです。

 その先生が、私たちの世界、つまり健康維持や病気快癒のための研究という分野に興味を持ち、様々な研究成果を提供してくださったのです。

 それは驚きでした!

 ガンについての考察で私が言いたかったことの一つに、水の問題があります。

 人の身体の70%ほどを占める水の影響は、ガンはもとより様々な病気の要因の一つとなりえることは自明のことです。

 これまで私は水の内の「酸素」の部分に着目し、活性酸素がガンの成長にかなりの影響を与えていると考え、この活性酸素を除去することをガン施療の柱の一つとしてきました。
「市川式マイクロ器」などは、まさにそのための機器です。
この機器で活性酸素をイオン化させて除去することで、体内の活性酸素を減らすことができます。
さらに、イオン化することでパルスが発生し副次的に熱を発生させることでガンに致命傷を与える(ごくごく簡単な機器の効能説明ですが……)ことが出来る。

 ところが、水の「水素」の部分に着目して研究されていた先生方がおられたのです。

 東京大学の高原喜八郎先生などもその一人で、重水素に着目されていました。
ブルガリア国立研究所の成果によれば、重水素が130PPMを下回ればがん細胞は死滅するということですが、自然界での水は重水素の割合が150PPMなのだそうです(もっとも高山になればその割合は徐々に下がり、標高4千メートルほどの山の水は130PPM台になるということだそうです―私の扱う「大雪山旭岳源水」ももしかしたら……)。

 私が出会ったF先生も同じ観点から研究を推し進めてこられたそうです。
まだ薬事法をクリアする認可が得られておりませんので、その効果をうたいすぎるのはどうかと思うのですが、F先生の開発されたもの(化粧品の認可は得られていると言うことです)は、様々な効果を示しております。
当館の会員の方々(100人ほどです)の協力を得てもたらされた臨床例をあげます。
まず、血液がサラサラになった、肩こりや膝の痛みが和らいだ、痔疾が改善した、ガンが抑えられた、風邪やインフルエンザが良くなった、快適な睡眠ができるようになった等々、様々な効果の報告がもたらされました。
何よりも驚いたのは、私の92才になる老母が介護無しで風呂、トイレができるようになったことです。

 この製品についてはこれからも追跡調査を続けていくつもりです。

 この8ヶ月間、F先生の他にも大きな出会いが複数ありました。
これらの出会いが、病で苦しむ方々の福音の一つになるよう十分な考察を重ねて参ります。

 今朝は、とりあえずブログ再開のお知らせとしてF先生との出会いを記入いたしました。

 今後ともよろしくお願いいたします。
 

 


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2014年3月14日 (金)

朝の力

  久しぶりに朝の目覚めがさわやかです。
  この一ヶ月ほど垂れ込めていた暗雲がきれいに取り払われました!
  感謝、感謝です。

  先週一週間で三つも近しい人との別れの式がありました。
  その方たちとの別れの式が、何かを変え始めるきっかけとなり、昨日いっきに大きな変化をもたらしたのかもしれません。

  これから取り組む朝の稽古で、どんな氣が廻るのかとても楽しみです。
 

  今朝の変化に至る兆候は、数日前からありました。
  私の施療室には、「市川式マイクロ器」が4台備えてあります。
  一人の患者さんに使用する体制としてはもちろん世界一です(エッヘン)
  このマイクロ器と私の施療法を組み合わせて対応してきたのですが、立て続けに2人の方の難病が癒えたのです。

  実に、嬉しい出来事でした!

  今朝のすがすがしい心のありようは、これからも嬉しい出来事が起こりそうな予感を含んでおります。

  今朝のあまりにも素晴らしい心の高揚感が、朝稽古を少し遅らせてもPCに向かわせる気持ちになりました。

  来週は大きな勝負の一週間が待っております。

  今の高揚感をそのまま持ち続けながら、来週の命題に向かっていきたいと思っています。

  ともあれ、この素晴らしい朝に感謝いたします。

  誠に、有り難うございました。

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2013年6月 4日 (火)

  一昨日の夜、実の妹が来て話し込みました。
  この歳になると兄弟で話すことなどほとんどなく、実に久しぶりの会話を交わしました。
  私の妹は少し変っているというか、何か不思議な力を持った人物で、子供の頃から予言めいた言葉を発したり霊をよく見たり、と私に輪を掛けた不思議人間です。
  妹が私のところへ来たのは、先月私が訪れた岐阜のお寺のブログを読んで、自分もその地を訪ねたからということでした。
  いい歳をして車で行ってきたという、その行動力が少しも衰えていないことに少なからずショックを受けました。
  私よりその感性はまだまだ盛んのようです。
 
  子供の頃から私より成績が数段上の、かなり苦手としてきた妹なのですが、案の定、その訪問にも手抜かりは無く、私が調べたよりもはるかに詳しい歴史を探り出してきました。
  まあ、その御陰で私の母方のルーツがはっきり分り少しスッキリしたところがありますので、不満を言うつもりはありませんが……。
  ただ私とまったく同じ先祖を持つ人間はこの世に彼女一人だけなので、私に言いたいことが何かということはなんとなく分りました。
  結論を先に言えば、私達の母方の祖先は飛騨から出たということが判明したということです。
  そしてその後「伊勢」に出て行ったということなのです。
  これが何を意味するかということについては妹がなにやら執筆しているらしいので、私から言うことはひかえます。
  ただ私を護っていてくださる「御守護様」は、飛騨の時代のお方様らしいということはなんとなく感じておりました。

  今回、久しぶりに妹が私を尋ねてきたのは、私に憑いていた「おかしなエネルギー」が消滅したことを感じたからなのだというのです。
  この「おかしなエネルギー」は決して望ましいものではなく、私の活動や考えを阻害するものであったというのが彼女の考えらしいのです。
  改めて妹の感の良さに驚きました。
  まさしくその通りで、そのことは私自身も薄々感じてはおりました。
  (偶然にも今夜、或る能力者の方から電話があり同じ事を言われたのには吃驚しました)
 
  手元に、妹が調べてきた先祖の系譜があります(明治以前のものは、公式には発行していないそうですが、どこからどのようにして調べてきたのか、かなり前からの系譜が判明しました)
  この系譜を読んで驚くことは、関東(茨城)と中部(岐阜)と離れすぎている私の父と母の系譜が微妙に関連していることです。
  これは一体どうしたことでしょう!
  この謎も妹の捜査に任せて、私はここ数週間で劇的に好転した私の運勢の謎について考えることにいたしましょう。
  電話をくれた「能力者」の方とも今週中にお会いするので、また何かのアドバイスを頂けそうです。

  世の中には不思議がいっぱい!

  だから人生面白いのですが、半月前にある僧侶の方から頂いた教えを守りながら、少しづつでもこの謎を解明していくつもりです。
 
  さて、解明できたその先に何が待っているのか……。
 
 

 

 
 

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2013年5月 4日 (土)

あれから・・・

  木曽川源流の祖先の墓に行ってきてから、しばらくブログを休んでいました。
  あれから3週間、不思議なことが起こりすぎです!
  良いこともあり、悪いことも起こりました。
  でも、よくよく考えてみれば人生を顧みるためには全てが必要なことだったのかもしれません。
  反省ばかりの人生、これを名誉挽回の好機ととらえようという考えにようよう至りました。
  たった3週間の間に十分な時間と沢山の運が舞い込みました。
  遅きに失した感なきにしもあらずですが、なに人生は死ぬまでチャンスあり、と考えれば少し遅かっただけにすぎません。

  先輩のTさんが亡くなりました。
  私が見舞いに行った翌朝のできごとでした。
  うつらうつらしていたTさんが、私の顔に気が付くと「おーっ」と両手をあげ私の手を握ってきました。
  最初に出た言葉が、「佐藤……、すまなかったな……。お前の言うことを何も聞かなかったな……」
  私の氣功療法を、最後まで受けてくれなかった事に対しての言葉でした。
  お医者さんの言葉を最後まで信じて、言われる通りの治療手術を繰り返してきたTさんは、その治療法以外をかたくなに拒んできたことを後悔しているようでもありました。
  「じゃぁ、今から氣を入れてもいいですか?」と訊くと、ほっとしたようにうなずいてくれました。

  おかしな事に、当初いくら頑張って送氣しても入りません。
  一緒に行ったMさんに、「入らないのです……」とつぶやいてしまいました。
  ふっと思いついて、持参した「ヴィジャヤサーラ」を噴霧してみました。
  今度は入ります!
  嬉しくなってしばらく外氣療法を続けました。

  頃合いをみて送氣を止め、話しかけました。
  「Tさん、我々には50年近く続けてきた謡いがあるじゃないですか。頑張ってまた舞台に立ちましょうよ!」と励ますと、なんとTさんが謡い始めたのです。
  「花咲かば……」
   「鶴亀」の一節です。

  ……あこがれ続けたTさんの謡いを聴く最期となりました。

  先週末、当樹徳館道場でTさんを偲ぶ会が催されました。
  いきさつを知っておられるF先輩の発案で、鶴亀の素謡をおこないました。
  じっと聞き入っていたF先輩の耳に、十数名の連吟の中にTさんのあの包み込むような深い声量の声が間違いなく聞こえていたそうです……。

  誕生日がわずか2ヶ月しか離れていないTさんの旅立ちは、私にとっても少なからずショックではありました。
  その前後から立て続けに起こる不思議な出来事もあいまって、人生を考えさせられてきたのです。

  ようやく、すべての逡巡から解放されて一つの道を歩む事が出来るようです。

 

  数日前、自分が生まれる少し前の記憶を必死にたどってみる試みをしてみました。
  何かが感じられます。
  でもまだ何なのかは全然わかりません。
  これから何度か試みてみるつもりです。
  何かの気配が感じられることは確かなので……。
 

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2013年3月19日 (火)

春分の日

  今、朝の四時三十分です。
  まだ夜は明けず外は真っ暗ですが、すでにしてかなり強烈なエネルギーが東の方から押し寄せてきました。
  今日から三日間は、素晴しいエネルギーに満たされた朝を迎えることができます。
  年に二回だけの至高の時がまもなく訪れます!

  皆さんもどうぞこの三日間は素晴しい氣のシャワーを存分に浴びて下さい。
 

  その時初めて気づきます。

  ……自分の知らない世界が、信じられない世界が、確実に存在することを……。
 

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2013年2月 4日 (月)

立春

  立春の朝
 
  昨夜の「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」の豆まき
 

  今日は

  仲間の大切な一日

  全てがうまくいきますように・・・

  眠れない夜が間もなく明けます

  いつも通りの

  祈りしかできないもどかしさ

  それでも

  信じて

  稽古に・・・

  氣をつくらねば

  沢山、沢山

  氣を送れるように・・・

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2013年2月 1日 (金)

守破離

  2月になりました。
  年が明けて、あっというまの1ヶ月が過ぎました。
  今月は、前回ブログで匂わせていたことなどが明らかになってきます。
  かなり変化のある月になりそうです。

  昨夜は眠気がすごく、10時には寝てしまいました。
  0時前に寝ることなどほとんどないのですが、前日からの睡眠不足のためでしょうか、3時間以上グッスリ寝てしまいました。
  今度はもう眠くなくなり、朝稽古までの時間をもてあましていると地震があったのでニュースを見ようとTVをつけてみました。
  すると「柳家小さん」のファミリーヒストリーという番組です。
  その中で小さん師匠が「守破離」について語っておりました。
  偶然にも、先週と今週の氣功教室でこの「守破離」について話したところなのです。
 
  シンクロニシティは大変多く起こる現象ですが、この「守破離」についてのシンクロニシティが起こったことについてはちょっと感慨があります。
  というのは、「守破離」を話すきっかけとなったのが、氣功法指導の再構築というか、少し違った角度から氣功法の指導を試みてみよう、という考えが起こっているからなのです。

  昨年末から、今までの指導法とは違うアプローチというか、調身法よりも調心法に重点を置いた氣功指導に切り替えはじめました。
  それは、五禽戯の指導を行っているときに強烈に感じたことがあったからなのですが、今まで「虚」と「実」に対する意識が希薄であったということに気づいたからなのです。
 
  この気づきは、昨年末から来られるようになったF先輩の変化からもたらされたものでした。
  F先輩は、居合道八段という技をお持ちです。
  その先輩とこの1ヶ月ほど沢山の語らいの時間を持つことができました。
  そこで感じたのはF先輩の「氣」の驚くべき変容でした。
  もうかなり前のことで、F先輩は覚えてもおられないようでしたが、私は先輩の「氣」について面と向かって失礼なことを言ってしまったことがありました。
  その当時のF先輩の「氣」は、向かい合うとまるで抜き身の日本刀を突きつけられたようでした。
  今思うと恥ずかしくなるのですが、私は先輩に向かって「そのように『実』が強すぎる氣の持続は身体を壊す恐れがあるのではないですか」などと言ってしまったのです。

  それから10年前後の時間が経過しましたが、先輩は居合いにモダン舞台にと着実に努力をされておりました。
  私もその舞台を観る機会がありました。
  驚いたことに、その舞台でF先輩は「実」を内包したままの「虚」を出現させていたのです!

  氣の世界に嵌まって30数年……。
  師から求められてはいましたが、私が未だ完全には習得出来ていない境地に先輩は達していたのです。

  昨年末、私は先輩に質問してみました。
  居合いを行うときの心づもりはどのようにしていますか、と……。
  速攻で答えが返ってきました。
  「虚」を正にしておこなうように変えたのだ。
  そのために、居合道の先輩から嫌われたようだ、と。
  そして私の氣功法の源にも理解を示されました。
  共に氣功法と居合道の修練をおこなえるようですね、と。

  10年ほど前の私の失礼な言は、当時からすでに先輩の修行には織り込み済だったのです。
  先輩は当時、「守」の修行をされていたに過ぎなかったのです。
  その後、異質の舞台での公演などを通じ「破」の修行をされ、「離」の境地を獲得されたに違いありません。

  私の修練も仙道から始まり、神道、仏道と多岐に渡ってきました。
  今は自分自身に期待しております。
  劉老師が私に求めた「境地」を完成できるのではないか……と。

  「破」の強力な後押しとして、4月からF先輩に「居合道」を教えていただくことにしました。
  共に学びたい方は、どうぞご参加ください。
 

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2013年1月 7日 (月)

新年

  明けましておめでとうございます。
  平成25年、初めてのブログ更新です。
  昨日、東京に戻り初教室でした。
  今年も、一人でも多くの方に喜んでいただける樹徳館活動にしたいものです。
  まだまだ未熟ですが日一日と進歩できるよう努力してまいります。

  今年も、縁のある方々の健康維持と運勢向上にお役にたてるよう頑張っていくつもりですが、もう一つの課題ができました。
  それは、施療者の健康管理ということです。
  樹徳館の活動の一つに「施療研究会」というものがあります。
  これまでの研究内容は、施療法や施療技術の習得について主に研究会を催してきました。

  しかし、肝心の施療者の健康管理についてはまったくおざなりできてしまいました。
  これは本当に迂闊でした。

  おもえば、これまで施療に従事してきて、沢山の「能力者」が私の周りからいなくなってしまいました。
  とても天寿を全うしたとは思えない年齢で逝ってしまいました。
  加藤先生(63才)、大川師範(49才)、久保田先輩(60才)、和田先生(53才)……。

  そして、全ての先生方が「能力者」であったのです。
 
  能力の高い施術者ほど、病を受ける確率が高い!とはM社長のお言葉でしたが、本当に能力の高い施術者ほど患者さんの病を引き受けてしまうのです。
  私が、その高い施療技術に驚き、崇拝しているM先生などは、常々奥様にお話しされているそうです。
  「自分が施療家であるかぎり、何時死ぬか分らないので心の準備だけはしておくように」と……。

  それが使命である、とはいえ心して考えなければならない問題です。
  七年前、私が病に倒れたとき生徒さんの機転で命を救われたことがありました。
  本来ならその時からこの問題に取り組んでいなければならなかったのです。
  幸いにも私の病が順調に快復してしまったため、この問題の重要性に思いが至りませんでした。
 
  浅はかでした。

  「能力の高い施術者ほど、患者さんの病を自分自身の身体に引き受けてしまう」

  M社長の言を借りるまでもなく、これは真実です。
  あまりにも多くの「能力の高い」施術者を失ってきました。
  私の周りばかりでなく、知人の施療者に聞いてもその事例が多すぎます。
  私達のような施術者の宿命というなら、それはそれで使命ですので甘んじて受け入れますが、少しでもそのリスクを軽減したいのです。
 

  今年はこの課題に正面から取り組んでいくつもりです。
 
 

 
 

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2012年12月27日 (木)

祈り

  年の瀬もいよいよ押し迫りました。
  このブログも、おそらくこれが今年最後になると思います。
  この一年も様々なことが起こりました。
  来年も……と考えると、楽しくも空恐ろしい思いが致します。
  自然と人間、綾なす様々な文様が頭をよぎります。
  それにしても自己の成長のなさに苦笑するばかりです。
  まるで児戯に等しい思考の構築にはあきれるばかりです。
  来年こそはと祈るばかりで、おそらくこれは一生反省ばかりなのかもしれません。

  祈りといえば、先週の金曜日(12月21日)に家元が稽古場で大々的な祈りを行いました。
  30人程(!)の「浄め手」とともに長時間に及ぶ祈りがおこなわれ、二階の私の部屋までその波動が伝わってきました。
  さすがに98代目、その波動たるや凄まじいの一言に尽きます。
  様々な邪気が停滞したのは、私の教室活動の影響もあるのでしょう。
  家元によれば、邪気怨霊退散祈祷を行うということでした。
 
  不思議なことに、翌日からはこのビルばかりか私の心まで平穏を取り戻し、最近少なめであったお客さんまで朝から大勢尋ねてこられました。
  御陰で23日、24日の連休は山修行に入ることすらできず、朝から晩まで接客となりました。
  それも新しい来館者が多かったのが不思議といえば不思議なことです。
 
  このビルが、また「イヤシロチ」としての輝きを取り戻しはじめました。
 
  今更ながら「光ノ宮」のお力に驚愕しております。
  これで、このビルを訪れる方々にも何かしら素晴らしい力が降りるに違いありません。
 
  「マヤ文明」の言い伝えによると、12月21日は古い時代の終焉であり、また新しい時代に突入する節目の日であるということなのだそうですが、家元の講演DVD「タマヤ文書が伝える第7期目の地球大変動」にも同じようなことが語られておりました。
  私の敬愛する「陰陽真澄」先生(マヤの暦を初めて正確に読み説いた人です)も同じように新しい時代の到来を語られておりましたが、21日以降私自身も新しい時代の到来を実感しております。
  ここ数日、朝の稽古をするときも何かしら嬉しさが涌き起こってきて楽しい時間になってきました。
  今朝の修行稽古のとき受けた波動もそうで、なんか身体が浮き立つような素晴しい感覚が得られました。
  これは本当に嬉しい感覚で、生徒の皆さんにも感じていただけるよう教え方を熟慮していかなければなりません。
  新年からも、更に精進していくつもりです!
  皆さん、ご期待ください!

  家元を初めとする30数人の「浄め手」の皆さんに感謝いたします。
  誠に有り難うございました。

  先日、珍しいプレゼントをいただきました。
  ロシアのT先生からのプレゼントなのですが、ひとつはアボリジニの暦。
  これは早速私の机の脇の壁に下げさせていただきました。
  色の使い方がとても幻想的な素晴しい絵が毎月楽しめそうです。
  もうひとつはロシアのお菓子です。
  ロシアのお菓子は、何となく懐かしい日本のお菓子を連想させる味で、食べた後嫌みにならない甘さが口中に広がります。
  ありがとうございました!
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  今年最後のブログにしては、あまりインパクトのある書き方ができませんでしたが、私にとっては家元と「浄め手」の方々の浄化祈祷は十分インパクトのあるものであり、背筋が真っ直ぐになる思いがするものでした。
  弟子でもある私も同じようなパワーを皆様に提供できるよう、これからもさらなる修行を積み重ねなければなりません。
  来年に向けて、頑張ります!ということを皆様にお約束して今年のブログを閉じさせていただきます。
  一年間、つたない文を読んでいただき誠に有り難うございました。
  来年もよろしくお願い致します。

  皆様が良いお年をお迎えできますように!!

                        平成24年師走

 
 
 
 
 

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