厄災を乗り越えるために
最近、密かなブームと言われているのが「歴史」学である。
ユーチューブや様々な場面で取り上げられる「歴史」ものが非常に多い。それは何故か考えてみた。
人間の本能の為せるわざではないか、ということに考えが至った。人々の潜在意識が「歴史に学べ」と教えているのではないか。昨今の「コロナ禍」に翻弄されている人々(私も含めてかもしれないが)のそこから逃れたい思いに対して、潜在的意識集合体が教えてくれている解決策の一つなのではないか。
疫病との戦いは、有史以前から数限りなく起こってきたことではある。歴史書に残されている災禍に限っても、奈良時代の天然痘禍を始め、ペストやコレラなどなど枚挙にいとまがない。
ところが不思議なことに気づいた。これが歴史に学ぶことかとかってに思っているのだが、日本における災禍はそのほとんどが一年以内で収束しているのである。今度のコロナ禍のように長引くということはなかった。そこに不思議さを感じた。何故、日本では短期間で疫病が収束しているのか?ヨーロッパのコレラ禍などがあれほど長期に渡って人々を悩ませたというのに……。そして今回のコロナ禍は、なぜこれほど長引き収束の気配すらないのか。
そこで、歴史に記された日本(日本人)と現代人の違いを探ってみた。また近世以前の日本人と諸外国(諸外国人)の違いを様々な分野にわたって調べてみようと思いついた。それは昨今の日本人と外国人の生活様式にはさほどの違いがないように感じたからでもある。さほどの違いがないからこそ日本も諸外国と同じようにコロナ禍から脱却できないでいるのではないかと考えたのである。食生活・衣料・生活様式・信仰・風土習慣・人類学的違い・地勢的気候的相違などなど様々な分野に知識を求めた。
すると、面白いことが判ってきた。日本の歴史を考えるとき、いくつかのスパンにわけて考えることができるのではないか、ということである。一般的な歴史の区分(いわゆる石器時代・縄文・弥生・古墳・奈良・平安……などの分け方)ではなく事象区分をしたところ、日本の歴史的事象はかなりの部分で大陸の影響を受けてきた事がわかる。にもかかわらず大陸の影響を乗り越えようとした動き、というかその影響を凌駕しようとする努力のようなものがたくさんあるのである。天然痘を克服するのに、世界最大の木造建築を建て巨大な仏像を作り上げたり、室町時代にはもはや大陸には学ぶことがない、などと声高にうたいあげたり(能楽の春日竜神などなど)しているのである。
私は日本の歴史を次のような区分に分けてみた。 縄文期から聖徳太子まで、天武天皇から平安初期まで、鎌倉期、室町の足利義政将軍から義教将軍まで、徳川家康から大政奉還までの五期である。これ以外の中間の歴史はいらない。明治期以降もいらない。なぜならそれらは日本の日本人の求めた歴史ではないからである。
このように限定してみると、日本と諸外国の違いが鮮明に見えてくる。 そして根底にあるのは、古神道・仙道・仏道の3つの哲学である。
今、私がおぼろげながら見えてきたことを列挙する。 3つの哲学の根底にあるモノは同じ哲学ではないのか。本能的にそれを悟ってきた日本人はその哲学の上に生きてきたのではないか。最も恐れられていたであろう疫病に対処する方法も、この哲学に基づいた生活習慣・食生活・衣服を採ることがこの国の風土に生きる最良の方式だったのだ。
ではその方式を採ることを最初に示唆したのはだれなのか。そのことにも私の経験を通して知り得たことがある。 それは「霊」ではないのか。言い換えれば「指導霊」または「座敷わらし」と「先住民族」なのではないか。 「座敷わらし」は「指導霊なのではないか」ということは、かなり以前から感じていたことである。それは私の経験からそのように思うようになった、ということしか言えない。
これから「五期」の歴史から学び、今の災禍を乗り越える方法を講義していこうと考えています。 「田端東京本部」でしばらくの時間をください。歴史の真髄は何か!歴史をどのように活かすか!そのために知らなければならないこと、努力しなければならないこと、などを示していきたいと考えております。
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