« ボランティア | トップページ | 会うは別れの始め-2 »

2011年6月 7日 (火)

会うは別れの始め

  一昨日の西方寺墓地清掃のあと、有志数人でお茶を飲みました。
  話題は当然のことながら、大震災のことになりました。
  私の家にも、市から被災証明書が送られてきました。この証明書に続いて見舞金配布通知書までも送られてきました。
  私の地区は一律5万円の見舞金が配布されるという内容です。
  見舞金や義捐金はこちらが送るべきものとばかり思っていたので、逆に贈られる側に立ったことに複雑な思いがしています。老母などは遠慮しなさいと言っており、私も受け取ることに躊躇しております。
  たしかに地震による被害は大きかったのですが、人的被害はゼロです。TV等でみる東北地方の惨状、そしてこの目で見た北茨城の被害の大きさを思えば私のところの被害など些細なものに思えてきます。
  お茶を飲みながらそのような話をしていると、やはりほとんどの人が同じ思いなのが分かってきました。皆、内心遠慮したいと考えているようです。
  その時、一人の老人が言葉を発しました。
  お寺での奉職の後ということもあったのでしょう。檀那について話し始めました。
  サンスクリット語の「ダーナ」を漢字にしたもので、旦那。意味するところは「布施」つまり「ほどこし」ということだそうです。
  いやらしくも、あとでパソコンで調べてみたらまったくその通りでした。(本当にゴメンナサイ)
  彼の言い分は、施す人が「国」であり、その代表が「旦那」いわゆる「ダンナさま」と思えるなら喜んで喜捨を受けるべきであり、そうでないなら遠慮しなさい。同じような意味合いで、一般の方からの「義捐金」は有難く受け取ることが大切ではないか、と語ります。
  さすがは長老!まったく素晴らしいことを言います。
  皆、感心してそれからしばらくは仏教言葉の話になりました。

  その話のなかで、心打たれたことがあります。
  いわゆる、四苦八苦の苦しみです。
  生・老・病・死の根本苦に加え、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の八苦の話になった時、「合者離之始」の言葉を思い出したのです。
  物忘れの激しい私は、この言葉が李白なのか白居易(白楽天)なのか混同していましたので、これもやはりパソコンで調べたところ白居易の「白氏文集」の中の一文であることが確認できました。(最近、パソコンに頼るのが大変多くなっております。これはやはりビックカメラグループの三人組の影響に違いない! と人のせいにしておきます)
  「会うは別れの始まり」とはなんと悲しいことでしょう!
  しかし、種々の仏典に説かれていることを引き合いに出すまでもなく、この言葉は世皆常なく真理であるように思われます。私自身、毎年のようにこの言葉を、この苦しみを味わってきました。
  それならば……、この言葉が真理というならば、この人生の「出会い」を大切にして来世までものご縁を築きあげていきたいと願うばかりです。

  さて、久しぶりに仏教ことばに触れたことに触発されて、仏教辞典を開いてみました。
そこで面白いことわざを発見しました。
  「吉凶は人によりて日によらず」ということわざです。
  兼好法師が「徒然草」で赤舌日を凶の日として忌日としたことを痛烈に批判した文章を書いています。
  昔から「吉日でも悪事をしたら凶運、悪日でも善事を行えば吉」という。吉凶は、その人の行いによるのであって、日のよしあしによるのではない、ということだそうです。
  なんと、今日6月7日の暦は仏滅!
  よかったぁ!兼好法師に賛成票、1票!!!

|

« ボランティア | トップページ | 会うは別れの始め-2 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141352/51877697

この記事へのトラックバック一覧です: 会うは別れの始め:

« ボランティア | トップページ | 会うは別れの始め-2 »