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2011年5月

2011年5月28日 (土)

地球のひな型

  日本という国は世界のひな型である、と唱える人々がおります。
  面白い事に、その考え方がいわゆる「民族主義」的な発想から言われているとは限らないことです。
  実績をふまえた上でそのような論を述べる人がいるということは、非常に興味深いことです。
  このような論者は、そのほか幾つもの「日本原理主義? 論」を唱えます。いわく、全ての「ものごと」は日本おいて、そして日本人によって完成する。ひとつ、仏教がそうである、ひとつ車がそうである、船の造船がそうである、PCがそうである、鉄道システム、宇宙開発、薬品、哲学、……等々。
  その人たちはまた、負の要素においても全てに日本及び日本人が絡んでくると説く。
  今回の原発事故もその一例であると言う。
  世界の陸地を組み合わせると「日本列島」になるという。写真のように、確かに組み合わせると日本列島に似ている。
  そして、日本発の災害は常に世界に起こる出来事の先触れでもある、などと恐ろしい事を言う。
  最近知り合いになった「異能の方々」の共通した考え方は、明らかに「進化論」の否定である。不思議に皆一致して同じ考え方を示したのである。
  「進化論」の否定者と論議したまさにその夜、NHKTVで米国の人々の半数以上の人々が従来の科学「進化論」よりも旧約聖書の創世記を信じる「創造論」に信を置いているという放送を視るというシンクロニシティが起こったのである。
  「創造論」を元にすれば、様々な疑問がすべて無理なく説明できるのだそうである。
オーパーツの問題、ミッシングリングの問題、突然発生したシュメール文明の問題、UFO現象、エジプトやそれを上回る南米の巨石文明の謎、恐竜化石の謎(化石はいかにして残るか? 自然状態であれば生物の死骸は決して化石にはならないことが証明されている)、生物のカンブリア期の爆発的発生の謎、この1万年の間、何故新しい生物が生まれないのかという謎、等々……。

  3.11という歴史的な災害を、何故我々が経験したのかということも含めて「異能の方々」からのメッセージがありました。
  彼らは、地球の生物の歴史をごくごく短いものと考えております。数億年とか数千万年とかいう時間は考えてはいないのです。
  同じ考え方から、現代の文明進化も加速度的に進むと考えており、これからそのスピードはさらに早くなると考えております。
  その証拠を提示できるのも間もなくであるとまで言い切ります。
  さて、その証拠とは一体どのようなものなのか……。
  浅学にして私には想像することさえできませんが、また来週、彼らとの接触がありますのでその報告をいたします。なんとなく、待ち遠しいような、怖いような……、今はそのような心境でおります。

  皆さんの興味を引くような話であればよいのですが・・・。

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2011年5月25日 (水)

言霊と呼吸法

  今日は2週間振りの日テレ「火曜サプライズ」の収録日。
  いつものようにH君、H女史の三人組で汐留のスタジオまで行ってきました。
  久しぶりの方も来られ、楽しい施療時間を過ごしてきましたよ。
  休憩室ではネプチューンやチュートリアルの方々と一緒。
  遠慮の無い私に話しかけられ皆さん迷惑したかもしれません。
  ごめんなさい!

  今日はいつもの時間を30分ほど早く切り上げて田端に戻ってきました。
  というのは、今日はTご夫妻と古神道の勉強会だったのです。
  その楽しみの方が勝っていたということです。
  今日の勉強項目は「禁厭法」についてでした。
  この法は私がかなり気に入っている行法なのです。
  特に気に入っているところは、言霊合せの「神歌」と「秘歌」の作成が図れるというところなのです。
  神歌と秘歌の音霊を合せる作業が実に楽しいのです。

  言霊とは神聖な「存在」が言葉に宿るという考え方で、このような考え方はもちろん日本ばかりではなく海外でも同じように存在します。古代人は言葉に宿る精霊の力によって運や幸福が左右されると考えていました。
  その基本的な考え方が音つまり音霊で、たとえば「ア」という音がもたらす波動の力は天地を揺るがし、大自然をも自在にするとさえ考えられてきました。
  「ア」という音は、神の言葉、または宇宙音とさえ考えられてきたのです。
  こじつけ気味ではありますが、全ての宗教の一番強い祈りの言葉が「ア」音で始まるのはその証左であるとまで言われております。(ア・ウン、アーメン、アラー等々)

  今日の勉強会は、「禁厭法」の概略の習得で終わりました。
  第二段階としては、これに呼吸法を加えることになります。
  つまり、腹式呼吸を行いながら「ア」を始めとする母音を心の奥底から発する練習をするのです。
  意識は持ってはいけません。
  例えれば、熱いものに触れた時「アッチーッ!」と思わず叫んでしまうような自然な発声を求めるのです。
  丁度、氣功練功のときの「副脳発声」のような感じです。
  この呼吸音霊発声法を会得することが、意味を持ったより複雑な言霊の力の活用法に繋がっていきます。
  以前、小林先生に教えていただいた時、この「禁厭法」の面白さに嵌ってしまったことを思い出します。
  修練法は幾つかあり、様々な方法を試すこともまた実に楽しいものです。

  今日も実に楽しい勉強会を持てました。
  誠に有難うございました。
  そしてこのブログにお付き合いいただいた皆さんにも「普留御魂神」のご利益がありますように……。
  比止 布太 身 与 出 武与 奈那 弥 古此 多里 布留部由良由良。

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2011年5月24日 (火)

超能力って……

  「超能力」の持ち主……ということが時々言われます。
  普通の人間が持っていない特殊能力を身に付けた人のことですが、そのような能力に懐疑的な人、頭から否定する人も大勢おります。
  私の考えは、どちらかというと肯定的です。
  というのは、私の場合「超能力」にたいする能力の範囲というか能力の種類をかなり広範囲に設定しているからです。100mを9秒ほどで走るランナーはもう超能力者とみなします。いつかTVで視たのですが、缶詰をコンコン叩くだけで中身を全て当ててしまう人も超能力者です。熟練した職人など、もうほとんど超能力の持ち主と思ってしまいます。
  氣功の修練を積み重ねることで、特殊能力が身につくこともあります。でもこれらは皆、修練、努力をすることで身につくことなのですね。ですから、そのような方々は自分のことを超能力者とは思っていないようです。それどころか、同じような修練を積めば誰でも身につく能力と考えているようです。
  いわゆる熟練の技、なのですね。

  今日、私がお会いした方はそのような範疇に収められない不思議な人物でありました。
  日曜日に田舎で会った高校の同級生の紹介で来られたのですが、私のような凡人でさえ一目見てその異様さを感じてしまうほどの雰囲気を持った人物です。

  たまたまその時来客がありました。
  その人物(仮にAさんと呼びます)もやはり幾分変わった人なのです。お会いするのは今日でまだ三度目なのですが、いつも予告なしでフラリと来られます。
  Aさんは映画関係の仕事をしている方なので、次回の作品に私の推薦する役者さんを使ってほしいとお願いしているところなのです。
  そのAさんでさえ、この異様な訪問者には圧倒されてしまったようで、彼が先に帰った後「驚いた! 驚いた!」という言葉しか発することができませんでした。
  というのも、彼がAさんの撮影しようとしている作品のストーリー内容を、何も聞かずにほぼ当ててしまったのです。おまけに、その作品はあまりヒットしない、などと辛辣なこともサラリと言ってのけるのです。
  Aさんはスピルバーグ監督がそうであったように、若いころアスペルガー症候群に悩まされ、ある種の異能力を獲得している方なのですが、そのAさんが「彼はモーツァルトと同じサヴァン症候群に違いない」などと言い出す始末です。

  これからこれらの方々との交流がどのように発展していくのか……、はたまた不発に終わるのかどちらとも判別がつきませんが、面白い方々と沢山出会えるこの人生は本当に楽しいものです。
  もし、これからの交流がより深まるのであれば、私の「超能力」に対する「定義」を大きく変更し、より凄まじい世界を垣間見てみたいものです。
  品川和尚さんや劉師などこれまで凄まじい能力の方々にお会いしてきました。その方たちの能力は、大げさに言えば人類をより良い方向に導いてくれる能力でありました。
  しかし、今日の二人の能力はそれとは違った異様さを感じさせます。そこがまた興味を引くところでもあります。
  これからの交流がどうなるのか……、またご報告できればと考えております。

  帰り際に、Aさんがぼそっと言いました。
  「佐藤先生といい、さっきの人といい、樹徳館には不思議な人が居りますなぁ……」

  ……これは驚いた! 私もそっちの人なのかい!!!

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2011年5月23日 (月)

無知

  生まれ生まれ
  生まれ生まれて
  生の始めに暗く、
  死に死に死に死んで
  死の終わりに冥し(くらし)

  自分も大分勉強したかな、と思っていてもまだまだ無知であることを思い知らされることが多々あります。
  ……土曜日から筑波に帰っておりました。
  久しぶりの帰省なので古い友人と会いたくなり、高校時代の同級生と会ってきましたよ。
  驚いたことに彼は大変若々しく、顔などピカピカと光っております。
  まさか、高校時代のようとまでは言えませんが、おまけすれば40歳代でも通るほどの容姿を保っております。
  その若々しさに幾分圧倒されながら、久しぶりの会話を楽しみました。
  彼とは高校生のころにいつも討論し合い、7対3ぐらいの割合でマイッタ! と言わされてきました。
  実に尊敬すべき智慧、知識の持ち主なのです。
  十数年ぶりの遠慮のない討論に、心のうちでは「勝ってやろう! 」という思いも湧いておりました。
  ところがところが……、今回もまた私の負けでした!
  でも、負けて清々しい思いの湧きあがる会話でもありました。
  これはもう、来世に持ち越して再度挑戦せねばなるまい、という思いを強くした時思い出したのが冒頭の言葉でした。

  この言葉は、「空海」の著した真言密教の教義書「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」の序文の一節なのですが、中学生のころ「長 微弦和尚」に教えていただき、古い大学ノートに記録しておいたものなのです。
  意味は、何度生まれ変わっても、何度死に臨んでも、やはり無知のまま死んでいく、というようなことです。
  その意味の裏側には、現在の自分の生を一生懸命に生きなさい、という教えが込められていることは当然です。
  彼との会話のあとで、今を精いっぱい生きようという気持ちが湧きあがってきたことが清々しさに繋がっているのですね。
  実に有意義で楽しい時間を持つことができました。

  ちなみに、彼との会話の主な主題は今回の「東日本大震災」が桜の季節に起こったことから連想が始まり、梶井基次郎の作品「桜の樹の下には」から、桜の樹の下には屍体が埋まっている、という書き出しについてでした。
  主人公の、桜花の信じられない美しさは惨劇があってこそ均衡が保たれる、という不安について、今この惨劇が起きてしまった現実には不遜極まりないということからの喧々諤々ではありました。

  友人・仲間がいてこその人生、その有難さを再認識した一日となりました。
  誠に、有難うございました!!!

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2011年5月20日 (金)

ツンドク……

  お早うございます!
  今、朝の3時40分……。
  昨夜は何と11時半に寝てしまいました!!!
  日本橋まで出かけ、重要な方々と会ってきました。
  何が重要か? ですって……???
  これからあることが始まります。
  そのプロセスで重要な役割を担っていただける方々なのです。
  落ち込み著しい日本を救おう、という壮大な夢を描いておりますが、その礎ともなっていただける人々なのです。
  W氏、S氏、H氏、N氏、K氏のこれからの活躍に大いに期待しておりますよ!
  その後、同じ日本橋でW氏、Y氏と打ち合わせ。
  Y氏は私の高校の後輩なのですが、今は超大手の副部長さん!
  W氏は素晴らしい仕事人!
  この二人を引きあわせることで、何か大きな仕事をしてくれるのではないかと期待しております。
  とにかく、今の日本の現状が少しでも前向きになるよう、微力ながら私も動き始めましたよ。
  今日の会合の中から、秋には日本経済の好転も見込まれるという話が出てきて、少し希望が見えてきましたよ。
  若い、現役仕事人の方々の活躍に期待しております。

  昨夜、11時半に寝たくなったのは一冊の本を手に取ったからでした。
  昨夜、会合から帰ってきて時間があったので書棚の本を物色していたとき、大分前に購入して「ツンドク」状態にあった本に目が行きました。
  私は購入して読んでない本が結構書棚に眠っております。
  昨年37インチのTVを購入してから特にその傾向が高まっておりました。
  映像の魅力にはまってしまい、沢山のチャンネルから録画した映像を見ることが楽しくてたまりません。
  しばらく本から遠ざかってしまいました。
  それがどういう心境か本を読みたくなったのです。
  こんな時、「ツンドク」状態のストック本が沢山あるということは嬉しい事です。

 その本の銘は「いのちの賛歌」という本で、山本空外上人の講義録で、京都の品川和尚の亀山和尚に頂いた本です。
  頂いた時、一度読んだのですがそれほど私の身体には入ってきませんでした。
  ところが、昨夜は読むほどに背筋がゾクゾクしてくるのです。
  何かが弾けたような感覚に包まれるのです。
  二時間ほど読み進めて限界がきました!
  それ以上は頭がもちません!!!
  驚くべき本です!
  一度休憩してから読み進めようと考え、少し休憩を入れたのですが、耐えきれず寝てしまったということなのです。
  随所に現実の諸問題を予知したようなところもあり、過去の偉人たちの行動が今の我々の行動を再確認すべきと教えているところもあり、今この時期に読むことが決められていたのではないかとさえ思えましたよ。
  全てを読み終わった後の、私の思考変化が空恐ろしくもあります。
  内容については、感じたことを教室で皆さんに少しづつお話いたしますが、一つだけ法然上人のエピソードを記します。

  法然上人は、15歳から3年間、当時日本一の学者といわれた皇円阿闍梨に仏教を学び、18歳の時に天台宗の出世コースを避けて元黒谷に隠棲されたのですが、その理由が素晴らしいのです。
  15歳からのわずか3年で仏教の学問を修め、その出来があまりに素晴らしいので、師に自分の後継ぎにならないか、天台の座主になるようこれからやってみないかと薦められたそうです。
  ところが法然上人はそれを聞いて「ああ、この師匠は仏教を出世の道具に考えておられる、そういう方とはお別れだ」と山を降りたのだそうです。
  日本の仏教思想をより高みに導いた佛人に、比叡山を途中で降りた方が多いというのも不思議なことではあります。
  おそらくその方たちは仏徒としての出世に捉われていないのでしょう。

  この本にはとんでもない事がサラリと書かれております。
  これから読破して皆さんにお話しできることが楽しみでもあります。
  どうかご期待ください!

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2011年5月14日 (土)

吉兆!

  暗く破滅的な話題しかない昨今……。
  今夜は久しぶりの吉兆を思わせる話題を一つ。

  昨夜、夕食(奮発してうな重の松を食べました)を終えると突然睡魔が襲ってきました。
まだ8時過ぎの時間なのです。これほど早い時間に睡魔が襲うことなどめったにありません。とうとう睡魔に負けて9時前にベッドイン!
  その夢の中で、白い大きな蛇が現れ私と戯れるのです!
  私は蜘蛛は大好きで、子供のころから蜘蛛を手のひらや頭の上にのせて遊んでいたほどなのですが、ヘビはいけません。
  どうにもヘビは怖いのです。
  だから夢の中とはいえヘビと戯れることなど考えられないのですが、今夜の夢では仲良しなのです。
  白い大きなヘビの瞳が黒く愛らしいと感じたことまで、いまだ覚えているのです。
  不思議なことです!
  ところが、深夜0時ごろ突然電話で起こされてしまいました!
  私の田舎、つくばからの電話です。
  一瞬、ヒヤリとしました。
  というのも、前にも述べましたが私の田舎の家族は深夜電話をすることなどほとんどないのです。
  ……もしや、88歳になる老母に!?……
  そんないやな予感がしたのですが、内実はまったく違っておりました。
  田舎の家の中にヘビが入り込んだというのです。
  今夜は田舎の家には老母と妻の女二人しかいなかったので、突然現れた大きなヘビに慌てふためいて連絡をよこしたようなのです。
  すぐに近所から妹夫婦が来てくれて処理してくれたのですが、見事におおきな青大将だったそうです。
  我が家には犬も猫もいるのですが、のんびりした性格なので4匹もいるのに知らんふりだったそうです。
  つくばも大分都会化してきて、もうヘビなどいないのかと思っていましたが、わが屋敷にはまだいたのですねぇ!
  20年ほど前には、わが屋敷の内で大きなヤマカガジ(マムシ以上の猛毒を持っているそうです)やジモグリ蛇、日ばかり蛇などを見かけたことがあるのですが、今も生息していたとは……。
  それも、偶然蛇の夢を見ていた時に実際に現れるとは……。
  なんか嬉しくなってきました。
  私がナマケモノなので、我が屋敷の庭はまるでジャングルのようなのです。
  それこそ、タヌキや雉、こじゅう鶏などがわんさか集まります。
  それにしても家の中に青大将とは……!

  かってに解釈して、これは吉兆に違いないと思っています。
  そう思ったら、なんか元気が出てきました。
  なんかやる気マンマンなのです。
  明日執り行うお祓いのための祝詞作成も、驚くほどスムーズに出来上がりました!
  今までは祝詞を作成するときに、言霊の数値合せがうまくいかず、無い頭をひねって随分時間をかけねばならなかったのですが、今夜はあっというまに出来上がりました。
  やまと言葉の文言も、驚くほどスラスラと出てきました。
  何かが降りたようです!
  さすが、超楽観主義者の私!
  全てを良いほうに考えて、心を躍らせております。
  明日から何か素晴らしいことが続々と舞い込んでくるような予感に恍惚としております。
  心が躍ると、不思議なことに疲れが全て無くなってしまいます。

  少し早い時間ですが、吉兆に心躍らせながら修行を始めます。
  このブログを読んでいただいた皆さんにも大きな幸せが舞い込むことを願いながら、今日は幸せを招く練功を行ってみましょう!

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2011年5月11日 (水)

日本テレビ

  今日は久しぶりの日本テレビ「火曜サプライズ」の収録のため、汐留のスタジオに行ってきました。
  先月から収録スタジオが13階に変更になったので、また清浄な氣のフロアにするための「おつとめ」が大変です。
  例によってH君、J女史との三人組で押しかけました。
  今日も沢山の方々に来ていただき、「どや顔」で引き上げてきましたよ。
  隣のスタジオでは明石家さんまさんの「踊るさんま御殿」の収録。
  ゲストの顔ぶれを見て驚いてしまいました。
  まぁまぁ、大勢の有名人の出演されること!!!
  沢山の有名人と同じフロアで仕事していることに不思議な感覚を抱いております。
  そこかしこで見知った顔に出会います。
  もちろん、向こうは私のことを知りませんが……ね!

  今日の教室では久しぶりに仙道氣功法「手印」を行いました。
  14ケ程の型を資料とともに教えたのですが、皆さんの四苦八苦している様子を見るのが面白くて、つい「教室」であることを忘れてしまうほどでしたよ。
  「手印」は密教や古神道にも沢山あり、皆それなりの効果をもたらすものなのですが、仙道氣功法の「手印」は密教や古神道とはいささか効果目的が違います。
  密教の功法に「三密」というものがあります。
  「心密(意密)」「口密」「手密(身密)」の三功法ですが、この「手密」が「手印」のことなのです。
  密教や古神道の「手印」にはいささか呪術的な効果を期待するところがありますが、仙道で行う「手印」はさまざまな「手の型」をとることにより、身体の経絡を刺激して健康を保つことを主な目的としております。

 仙道氣功法「手印」には、両手を使う大手印と片手で行う小手印があり、それぞれ36種が仙道手印として伝えられております。
  当教室では、その中から比較的楽な結び方の14種づつを行います。
  ただ「手印」の効果は、教えられた時は万能の効果をもたらすように告げられましたが、私の経験では手の経脈(心・肺・心包・大腸・小腸・三焦)の各経絡に関した部位には効果が見られるもののその他の部位にはそれほどの効果は期待できないように感じます。
  だからどんな病気もこの手印を結ぶことで治せるというのは迷信のような気がします。
  とはいえ、先にあげた部位には大変効果が見られますので健康維持、病気治療にはやはり重要な練功法であると考えております。

  写真では一つだけ、六経をリラックスさせ左右の氣の流れを活発にすることによって心を安定させ肺氣を下げる効果のある「円月立指印」を載せました。
  この印を結ぶことによってもたらされる効果は、老化を防ぎ中高年であっても心身ともに精氣を高め若者のような充実感をもたらすというものです。
  そして若者の場合は特に美容効果が高いといわれるものです。
  ムム……!?、これは見逃せない功法ではありませんか!

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2011年5月 6日 (金)

それぞれの3.11

  未曾有の大災害からまもなく2ヶ月が過ぎようとしています。
  どのような出来事が起こっても、時間は留まる事をせず、淡々と流れていくように見えます。
  でも、そこで時間が止まってしまった方々も大勢おられます。
  亡くなられた方々ばかりでなく、生きている人々でも時間が止まってしまったような状態に陥ってしまっている者もおります。
  3.11は個々人にどのような影響を与えているのでしょうか。

  今朝の氣功練功のとき、久しぶりに瞑想をしているとこんな思いが湧いてきました。
  この辺であの災害(原発についてはいまだ災害継続中なのですが……)が我々一人一人にどのような影響を与えているのかを考えてみよう、という思いです。
  私自身についていえば、忘れかけていた知識を思い起こさせたということが一番感じるところかもしれません。
  根っからの楽観主義者である私は、起きてしまった負の経験の中からどうにかして、こじつけてでもプラス要因を見付け出そうと考えるのです。
  そのような時、見付け出す源はいつも三人ビゲン(長和尚、劉師匠、小林主幹)と品川和尚から受けた教えの数々からなのです。
  今回も師の教えをなぞりながら考えを回し、なんとかプラス要因を見付け出すことができました!
  その要因の詳しい報告についてはもう少し私の考えを深く掘り下げて皆さんにお伝えいたしますが、やはりプラスにできるものはあるものです。

  今回は、小林先生と品川和尚の教えの中に大いなるヒントがありました。
  それは、五つの輪の繋がりについて考えてみるということです。
  まるでオリンピックの旗のような話ですが、五つの事象の繋がりという意味です。
  両師匠の教えをなぞって考えを回している時、このことに気がつきました。
  そこから実に不可思議な、そして恐ろしいけれど妙にワクワクするような考えにとりつかれました。
  これはもっともっと深く考えてみたい、と思わせる出来事でした。

  この時点で、瞑想から戻ってまいりました。
  なんのことはありません。
  瞑想の目的は無念無想の世界に入ることなのに、私の場合は様々な考えを巡らすことのようです。
  これでは瞑想していることにはなりませんね。
  でも、まあいいか……!
  私が瞑想しようと思い立つのは、いつも一つの動機からなのです。
  それは、人生の時間軸、生老病死の時間経過がネガティブ性の中にのみあるのではないということを確認するためだからなのです。
  死が消滅・滅亡というネガティブ性だけを絶対のものとするなら、我々生きとし生きるものの時間経過とはネガティブ性にのみ向って生きていることにほかならなくなってしまう。
  そこには「悟り」を生みだす余裕など皆無と思われる。
  ところが瞑想することで、このような考え方から脱却することができるのです。

  来週の教室では、今朝のこのような考えをもう少しまとめて皆さんとお話し合いをしたいと考えております。
  少し長くなりました……。
  そろそろ送氣の時間です!
  またブログでも続きを述べたいものです。
  最後までお付き合い、誠に有難うございました。

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2011年5月 5日 (木)

微熱続く……

  5月に入ってから連日微熱が続いております。
  もう5日間、薄気味の悪い発熱です!
  咳などがでるわけではなく、どうやら風邪ではないようです。
  熱も高熱ではなく、37度前後をいったりきたり……。
  食欲や体調に変化があるわけでもありません。

  昨日は腰が痛く、上向きに寝ることさえできませんでしたが、品川和尚の「妙高クリーム」をたっぷり塗り込んだところ、3分ほどで痛みが消えてしまいました。まったく有難いクリームで、困った時はすべて「妙高」に助けを求めております。
  今朝、シャワーを浴びるとき「妙高クリーム」を塗った腰のところを鏡に写して見てみると、何と塗った部分だけがピカピカ光っております。皮膚が再生し、若返っているようなのです!余裕があれば「妙高クリーム」を全身に塗りたいほどです! (……全身、若返ってどないすんねん!! と和尚さんから突っ込みが入りそうです-笑-)
  クリームの残量も大分心もとなくなってきたので、次回の京都行きでまたお願いいたします。
  このクリーム、実に不思議なしろものでして、いまでは手元から欠かせません! 早く老け顔になりたいので(?)顔にだけは使っておりませんが、ときには食べたりして内臓を若がえらせたりしております。

  この妙高クリームを持ってしても微熱は下がりません。
  これはもう肉体的なものではない、と思い一昨日の稽古から生徒さん方に小林先生直伝の「採燈願文」と秘文「五輪観文」を唱えていただいております。
  というのも、3月の大地震の前にもこのような微熱が続いていたのを思い出したからなのです。
  3月には何の手も打たず、あのような大災害をまねいてしまったことへの反省もあるからです。
  今後も熱が下がるまで続けてまいります。
  皆さんもご一緒にお願いいたします!

  ……ア ビ ラ ウン ケン
  我即ア ビ ラ ウン ケン  如次腰腹心額頂
  不改自身名即身      覚悟此分為成仏

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2011年5月 2日 (月)

大型連休

  大型連休が始まりましたね。
  とはいえ今年のゴールデンウィークのすごし方は例年とは違ったものになっているようです。
  今日、私は筑波山に行ってきました。埼玉から4人の方が来られ、どうしても筑波山神社でのお祓いを受けたいということだったのです。
  5人で筑波山神社にお参りすると、幸いにT宮司がおられ、厳粛な式をお願いできました。
  T宮司とは前から知己を得ていたのですが、偶然埼玉から来られたNさんの知り合いを宮司さんも知っており、世間の狭さに驚きましたよ。

  式が終わってから、ケーブルカーで山頂まで行きました。
  実は男体山に「山崎弁栄上人」の修行地があり、そこの氣の凄まじさを皆さんに体験していただこうと考えていたのです。ところが、我々はまだまだのようです。
  上人の修行地への山道が、先日の地震により通行止めになってしまったのです。なにしろ、あの地震では筑波山でも落石による死者が出たほどですので、致し方ありません。
上のほうから、上人の修行地へ送氣して我慢しました。

  とにかく、風が強く体感温度は10度以下の感じです。
  遠く関東平野も春の霞にけむり、今が盛りの山つつじの艶やかさに心を癒されてきました。この時期は大勢の観光客でにぎわう筑波山も閑散としており、ちょっと寂しい感じがしましたよ。
  山頂を下って神社に戻ると、偶然私の家族(妻と娘夫婦)に出会いました。彼らは写真家なので、神社でおこなわれた結婚式の撮影に来ていたのだそうです。
  そうです……なんてかなり他人行儀な言い方ですが、我が家族は常にこのような雰囲気で、各自がどこで何をやっているのかあまり知りません。
  まぁ、かなりのお気軽家族ではあります。
  山頂で冷たい風に当たったせいか、少し熱が出てきました……。

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