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2008年1月

2008年1月30日 (水)

・・・

 私の、初めての気功の師、加藤武揚先生が、逝きました。
今日、佛生舘道場の宮本館長が来られ、報告してくれました。
・・・残念です。
しかし、霊格の高い人は今生の修業時間が短いものだ、と思い込もうとしています。

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2008年1月29日 (火)

神道とユダヤ

 週末、つくばに帰ってきました。
ツクバエクスプレスの駅舎を出たところで、旧知のS君と出会いました。S君は「一の矢神社神輿会」で共に活動する友人です。
彼と会ったことで久しぶりに一の矢神社に詣でたくなりました。夜の神社は、大木の森の威圧感もあって荘厳な雰囲気です。素晴らしい波動が押し寄せてきて身が引き締まる思いです。子供のころから慣れ親しんできた神社ですが、大好きな場所です。

 先月の H 家元の講習で聞かされた「日本の神社には、ユダヤ系のものが多い」という教えが甦ってきました。
 悠久の時間の流れを感じながら、縄文の時代にこの島国に影響を与えたユダヤの文化とは一体何だったのだろう、と人間の行動力の凄まじさに思いを馳せてきました。

家元に教えていただくばかりでなく、自らも少し研究してみようという思いが湧いてきました。さっそく、昨日からネットで検索しはじめましたが、面白そうないくつかの説がありますので、家元の教えを加味しながら研究してみたいと思っています。
小林美元先生にもそれらしき話をきいたことがあるので、神道の世界では一つの考え方となっているのかもしれません。

いろいろ証左し、研究してみて自分の知的欲求を満たすと共に、何かしらの結論じみた答えを導き出したいたいものです。最初は研究者の受け売り的論になるかもしれませんが、途中でも判った事をお知らせします。ただ、今のところは家元に教えていただいたことと、「エーッサ、エーッサ、エサホイサッサ」という掛け声が、ヘブライ語で「持ち運べ」という意味になることぐらいしか判っていませんので・・・。

 先週、最近出歩くたびによく街で知り合いに出会うということを述べましたが、今日もまたK君と上野へ行った帰りに、山手線の車両の中で偶然オーストラリアの友人、スチーブン君と出会いましたよ。
ほとんど毎回誰かしらに出会うので、街にでるのが本当に楽しみになってきました。
スチーブン君とは、近いうちにいっしょに夕食を食べようということになりました。
それにしても、私は知り合いが結構多いなア、とチョットうれしい気分で帰ってきました。
明日もまた、楽しい友人が田端を訪れてくれます。嬉しいことです。
オット、もう午前5時を回ってしまいました。稽古に入ります。

写真は、つくば駅周辺です。
今回もまた、オーブが写り込んでいます。面白いですね。

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2008年1月24日 (木)

 今日、都内に雪が降りました。
こんな日は、古神道気功が最適です。なにしろ天地(あめつち)の繋がる日ですから。
さっそく、今日の稽古では「神手秘法」を行いました。この法は身体が温まるばかりでなく、その人の運勢まで好転させる力を秘めております。先週の稽古で行った「神傳如意秘法」もそうですが、古神道には旨い具合に晴れの日に行うと良い行法と雨や雪の日に行うと効果の高い行法とがあり、まことに有難いことです。
 ここのところ、面白いシンクロニシティが続いています。
樹徳館の稽古で行った行法が、即座にテレビや本で紹介されるのです。先週行った郭林気功法が昨日のテレビで取り上げられていました。また、昨年末に教えた「神手秘法」が今月号の雑誌に掲載されていました。面白い偶然でしょう?
勿論、「神手秘法」の秘伝の部分は雑誌には載っていなかったので、勇躍今日の教室でそのことを強調しておきましたがね。
 今日、特に強調したことは、新しい行法を覚えたら21日間ひたすらその行を行ってほしい、ということでした。そして21日過ぎたら、どんなにその行が気に入っていてもまた違う行を行うようにしてほしいということです。これは、私が師から繰り返し教えられたことで、何時までも同じ行法を続けてはならないということです。これは気功の師、「厳新先生」が言われることと全く同じ教えです。その一致に先達の先見の明をみることができ、身が引き締まる思いです。
そのように稽古することが、目的にいち早く到達する道であるとともに、絶対にそうしなければならないという理由も師から教えて戴きました。今日の稽古でその理由を生徒さんたちに話したのですが、理解していただけたようです。
 今日は、初めて A さんが導引法の先達となって稽古したのですが、驚きました。
非常に高いレベルの導引法を披露してくれました。
教えた N 君の導き方が素晴らしかったからだねエ、と思わず言ってしまいましたが、大変嬉しいことです。

 今日も朝から大勢の方々が、雪降りの中を訪れてくれました。
その中に、私の心を悲しくさせる方もおられ、病の残酷さを骨身にしみて感じさせられました。・・・なんとかしてさしあげたい。その思いはいつも心の底に抱いているのですが、まだまだ力の足りない自分を嘆くしかありません。もっともっと努力しなければなりません。
その方が帰ったあとに、思いをこめて「天津祓」の詞を唱えました。
「ト・ホ・カ・ミ・エ・ミ・タ・メ」・・・遠祖神、恵み給め・・・。

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2008年1月23日 (水)

夢にむかって

 今日は、久しぶりに銀座へ繰出しましたよ。
T 大学の S 先生と Y 教授のお二人と永田町の A 社長の四人で、スペイン料理としゃれました。
T 大学の教授の方々とは、Y 教授の取得された特許を私が譲り受けるという話し合いです。話し合いは和やかに進み、完了しました。A 社長にもバックアップして頂くということで、両教授と A 社長の顔合わせもスムーズに終わり、シャングリアの旨いこと旨いこと。
私たちの「夢」実現にまた一歩近ずいた感じです。
私の宝物の「仲間たち」全てが喜んでくれることでしょう。仲間たちのためにも頑張らなければなりませんね。
A 社長はそれ以外にも、私の大学の後輩が私に託してくれた不動産の物件、4件の内2件を仕事にしてくださるということで、本当に感謝に耐えません。有難うございます。

 夜の銀座は思いのほか寒くなく、人通りも多く賑わっておりました。
T 君のベンツで送ってもらったので、約束の時間より少し早く着きました。ぶらぶらと中央通りから晴海通りを歩いていると、不思議なことに知人に二人も会いましたよ。
一人は声をかけなかったのですが、もう一人は向こうから声をかけられ、偶然にびっくり。こんなに人が多いのに不思議ですね。

 久しぶりのエスペロのスペイン料理はやはり美味しく、お腹いっぱいです。
今日は私のオゴリということになっていたのですが、終わってみれば A 社長に支払っていただいてました。ご馳走さまです。エスペロは銀座でも一番旨い店ということで、雑誌などにも紹介されている店ですが、社長は私の友人ですので、やはりサービスの料理を出していただき、これまた感謝です。
 仕事も上手くいき、料理も旨く、満足の一夜でした。また明日からの頑張りに背を押された感じです。誠に有難うございました。

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2008年1月22日 (火)

神示と神言 1

 以前、「神示」と「神言」には明確な違いがあるということを述べました。
今日はそのことについて少し語りたいと思います。
今日だけで全てを語ることはできないので、(1)ということにします。
今、このことについて語る気になったのは、昨日重度の病に伏せる師の姿を見たことに影響されている部分が、大いにあると思います。
 人の生死、それが神示と神言の違いに大いに関係してくるからです。

 人が生きているということ。死ぬということ。その違いはどこにあるのでしょうか。
死んだ人は、個として他の個に影響をおよぼすことはありません。だから死とは去る個ではなく残された個にあるという言い方をする人もいます。
いま生を得ている我々にとっての死とは、意識をしないことであるとも考えられます。
「心」がある時と言いかえても良いかもしれません。
ところで、心とは何でしょう?
この問いが、神示と神言の違いの三つの要素の内の一つです。
心という言葉は、私たちの日常で頻繁に使われていますが、未だ「心」を説明した素晴らしい論に出会ったことはありません。五感を使って外部の情報を得た頭脳がそれらを材料として分析、判断したものだという論がありますが、それは想念であり、頭脳の活動、感情、潜在意識などが心に反映したものでしょう。
 私の敬愛する兄で瞑想法の師でもある H 社長は「心を解明できないままの瞑想では、真の価値は半減する」と言われます。心という存在を解明することが瞑想のための前提となるのであれば、今まで「心」を納得できるように解説しているものが見当たらないというのも不思議といえば不思議なことだ、ともいいます。面白いことに、「心」の解明度という点では、心理学や相当進んでいる大脳生理学のようなアカデミックな分野においても同様なレベルであるということです。

 古神道の行法の一つに「六方拝」というものがあります。
この行法を行うとき、修行者は己の心を、五方向からの中間に置かなければならないとされています(五方向とは東西南北天地であり、その全てに意味合いがあります)。H社長の言を借りて云えば、外界からの情報を受けた五感(嗅覚・聴覚・味覚・触覚・感覚)によってもたらされる頭脳の働きや感情(潜在意識も含めて)などの顕れ、いわゆる肉体生命から発する”想念ーA(空想、妄想も含む)”と肉体生命の対極、その内奥に存在する叡智から精神を経由してもたらされる理知、直観智の顕れといえる”意識”ーBとの間に置きます。
 仮にAをマインド、Bをハートとして考えてみてください。
マインドは私たちの定め、誕生から死にむかって生きている間だけの感覚、感情と考えるならば、そして「死」が消滅、破壊、だけを意味するなら私たちはとてつもないネガティブ性のなかに生きているということにほかなりません。懸命に生きて、その到達するところが消滅とは・・・。
その消滅経過は時間によってもたらされます。とするならば時間こそネガティブ性の根源であるということも云えるかもしれません。(もし、時間が絶対のものであるなら・・・。)マインドはこのようにネガティブ性を内包した「心」です。
 一方、ハートは前述した五感を滅することによってもたらされる「心」です。
五感を滅することが出来たとき、内奥からもたらされる波動。それが仏教でいう観音力、明王力あるいは如来であり、古神道では「神言」として「心」に語りかけてくるものです。
私はこのハートの波動を「異次元の流れ」と呼んでいます。人それぞれ言い方はあるのでしょうが、私にはもう一つの別次元の流れとしか思えません(悟り、目覚めといった言い方もありますが)。
異次元と云ったのは、その流れでは時間というものが絶対ではないからなのです(現在ではアインシュタイン博士の理論によって時間は絶対的なものではないことが証明され,またハーバード大学のフォスター教授によって五次元時空の存在が証明されていますが)。
だからその異次元ではネガティブ性は否定されます。

 私たちが古神道から学ぶことは、その異次元、いわば個々の内奥から発せられる「波動」を感じることです。
幸い私は完全とは云えないまでも、もう一つの「異次元の流れ」を感じることが出来ました。私に出来ることは万人に出来ることです。ひとつには信じることです。我々は決して「ネガティブ性」だけをもって生かされているのではない、ということを・・・。

 今回は、三要素の一つだけ、表面的すぎるかもしれませんが述べました。この要素についての詳しいことは教室の時間にまたお話いたします。そして「ハート」の道にいたる「方法」をお教えしたいと思っています。
あとの二つの要素と「神示」については、また次回述べさせていただきます。
長々とお付き合い、誠に有難うございました。
 
 

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2008年1月20日 (日)

気功師

 今日は、私が初めて気功を教えていただいた K師の病気見舞いに行ってきました。
つくばの病院に入院している師は、すでに意識はありませんでした。
なんとかと思い、しばらく頑張って留まっていましたが、とうとう最後まで目をあけることはありませんでした。
まだ64歳になったばかりなのに・・・。ガンが全身に転移して医学的にはほどこしようがないという医者の説明です。栄養剤をうつだけで治療そのものはすでに何もしていないということでした。
 昨年お会いしたとき、その症状は西洋医学では治らない危険性があるからぜひにでも私のところまで来てほしいと言い続けたのですが、シャイな先生は一度しか来られませんでした。M館長はそれから毎週来られているので、いつも師も一緒にも来れば良いのになア、と言ってたのですが・・・。
 今日は、奇跡を願ってきました。意識が無く、治療も全て止めてしまった師の回復にはもう奇跡を願うしかないのか・・・。

 この二年で、私は3人の気功師仲間を失ってしまいました。ここで師までとなると少なからずショックです。なんとか奇跡が起きてほしいものです。
 K師は、いわゆる気功の天才とも呼べる人です。
その能力は驚くべきものです。唖然とさせられる出来事が多々ありました。
一つ一つの事例をあげたら、おそらくほとんどの人は眉にツバ付け疑うことでしょう。
しかし、その一つ一つは紛れもなく私の目の前で起り、私が気功師の道に入る大きなきっかけとなったものです。
 この二年で失った3人の気功師仲間も、まぎれもなく本物の能力者でした。
本物ゆえ自分の身体を犠牲にしたとも云えるかもしれません。本物には何かしら「医者の不養生」的なところがあります。
私が生徒の皆さんに常々注意をしているところですが、私自身、昨年あわやというところまで行き、九死に一生を得たばかりですが、もう一度自分自身を含めて気功治療をする人に注意をしなければならないと感じています。
K師も、事故を起こし医者にも見離された状態の自分の長男の施療にかなりの力を使ったと聞いています。今日お見舞いしたところ、その長男がかいがいしく看病していました。涙がでました。ある意味で、師は本望かもしれません・・・。
 私たちの使命と云えるかもしれません。私も、何も恐れず、私を必要としてくださる方々のために、これからも全力を尽くすことを師に心で約束してきました。

 
 

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2008年1月18日 (金)

よこはま・・・

 今日は朝から、足を延ばして横浜まで行ってきました。
道場から約1時間の距離ですが、乗り継ぎが良く50分ほどで着いてしまいました。横浜のセガレの会社へ行き、それから中華街に繰出しお昼を食べてきましたよ。
相変わらず美味しい味で堪能しました。
しかし何時来ても横浜という街はきれいですねエ。セガレが居てくれるおかげで時々遊びにこれるのがとても嬉しい。有難いことです。セガレの子供たちもまた可愛くて可愛くて・・・。
「じいちゃん、じいちゃん。」と慕ってくれるので本当の「じいちゃん」になったようです。「孫」は何人いても可愛いものですね。この一、二年で沢山の「孫」ができましたよ。
横浜の孫、北海道の「孫」、名古屋の「孫」そして茨城の孫等々、孫沢山で嬉しくてたまりません。もう少しするとまた北海道と茨城に「孫」が二人増えますよ。孫たちに会う旅をしてみたら、きっととんでもなく楽しい旅になるでしょうね。
 風が強く、かなり寒い一日でしたが、心の内はポッカポッカと暖かい日でした。有難うございました。

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2008年1月16日 (水)

稽古とそのあと

 今日は氣功の稽古日、「練精」のため古武道「杖術」を行いました。
「練精」とは氣功の修業は精を練って氣に変え、氣を練って神に変え、神を練って虚に帰るという老師の教えから造った言葉ですが、気功練功によって、精が強くなると身体が丈夫になり、氣が強くなると精神力が増し、神が強くなると知恵が生まれます。
虚に帰るというのは、自然や宇宙と一体となった高いレベルの知恵を身につけるということです。(虚に帰ることを気功練功の途中で現われる超能力を身につけることと勘違いしないでください。それはもっとも下級の枝葉にすぎません。)
 精・氣・神はそれぞれ下丹田・中丹田・上丹田に呼応しており、身体の弱い人は下丹田を充実させることが大切なのです。病気になるのは、精を浪費しすぎるからであるともいわれています。
 今日は、この精・氣・神の納めの型について稽古しましたよ。
そんなに難しいことではありません。ようは格好が良ければということです。
しかし男性と女性では氣を溜めておく場所が違うということを認識しなければなりません。これは大変重要な点で、私などは老師から何度も怒られたことでした。
「お前は女性のような氣の溜め方をする!」
と怒られた時などは、本当に情けなくなったことでした。
今となっては本当に良い思い出です。

 稽古を終わった後は、皆で上野に繰出し、焼肉パーティと洒落ましたよ。
皆、人が悪いものだから来られなかった人に写メールを送り、こんなのを食べてるよーと冷やかしました。K君の姉さんが今日誕生日だというので、私が一案。皆でお祝いをしているよーと写メールしたら、主役がいないのになにを言うか!(笑い)と怒られました。

 生ビールでほろ酔い気分。良い気持ちです。帰ってから「森伊蔵天女茸酒」を飲んだらまたこれがバカ旨。楽しい一日でした。誠に有難うございました。
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2008年1月15日 (火)

リニューアル

 今日からホームページがリニューアルされました。
米国在住の世界的気功師「厳新先生」の教えに次のような言葉があります。
「一連の定まった氣功の形にこだわらないこと。つまり、氣功には必ずこうしなければならないという練習法はない。しかし、全ての練習法には一つの指針がある。それは一つの練習法を学んである程度習得したなら、いつまでも同じ練習法をやり続けるべきではないということです。自分の年齢、性別、体質、環境、心理状態などの要素に基ずいて、絶えず他の氣功も勉強し、いままでの氣功練功法を修正してゆく必要がある。それは氣功法がこれからも発展する功法であるからである。
また全ての練功法は一つの目標に帰させなければならない。つまり、氣功の原則や要領に帰させることである。
功徳、道徳と品徳を重んずることは氣功の原則で、その原則に従わなければならない。(中略)そして氣功の目標を高いレベルのものにしなければならない。
「漏尽通」「佛眼通」などの長寿を達成すること。そして、「佛光普照」「礼義エン明」「普渡衆生」および慈善事業をおこなうことも、全て氣功の目標である。(エンはクニがまえに員)」

 私の師、劉老師が常々世界一の氣功師と言われていた「厳新先生」のこの言葉は私の氣功活動の基盤となってきました(直接教えを受けたことは、たった一度しかありませんが)。
面白いことに、厳先生の教えを実践していくと、氣功練功以外のことに対してもこの教え通りにしたくなるものです。つまり毎日少しずつでも何かを改良して行きたくなるのです。
樹徳館の案内書などは毎回内容が変わっていきます。氣功教室で生徒の皆さんに配布する資料も少しずつ変わっています。厳先生の言うように「発展」しているかどうかは定かではありませんが、自分ではそのつもりで変えています。
 今回、ホームページをリニューアルしたのも同じようなことです。
前回のホームページと比べてどうでしょうか、見やすくなっているでしょうか。もっともっと変化させていくつもりです。ご指導、ご意見お願いいたします。

 先日、 K 君と二人でいるところで家元に会いました。
家元は何かただならぬ様子で、今から深夜バスに乗って岩手に行くと言うのです。まさにその言われた日に岩手地方で震度3の地震が起りました。以前の箱根の件といい本当に驚くべきお方です。K 君と顔見合わせて驚いてしまいましたよ。本当に有難い人です。

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2008年1月12日 (土)

突発性難聴

 一昨日、K君が言います。
 「突発性難聴は治りませんか?」
 話を聞くと、歌手の浜崎あゆみさんが突発性難聴になり、現代西洋医学では治らないという宣告を受けたのだそうです。
私と I 先生のところで、これまで4人の突発性難聴のかたを治した実績を言うと、治してあげましょうよと言います。
縁があって治せるものならやるよ、と言いますと彼はさっそく後援会の方に連絡をとりました。しかし、やはりというか丁寧な御礼の言葉が返ってきただけだそうです。
当然ですね。彼女は有名人ですから、自薦他薦の情報が大勢の方から溢れるほど集まっていて困惑するほどなのでしょう。素晴らしい歌い手の女性だそうなので、他の方法でもなんでもどうか治ってほしいものです。
 そんな話をしているところへ、突然、プロ野球読売ジャイアンツの S さんが来られました。彼とは7、8年ぶりの出会い。懐かしさによもやま話で盛り上がりました。
彼は私の施療法を詳しく聞きたがり、ついには自分が受けると言い出しました。
さっそく新機器の療法と私の気功療法を試してみると、大分身体が楽になったと言います。そしてジャイアンツの選手たちに紹介すると言うのです。高橋由伸選手は腰が少し悪いのだそうです。その他にも腰痛や肩痛の選手が多く、あたら才能を病気や怪我で潰している選手が多いのだそうです。私も、先日パ・リーグのある球団の方から施療を依頼されたことを申しますと、さっそく選手の方々に紹介するということでした。
 その時、浜崎さんの話を持ち出したところ、彼女の所属するプロダクションの方々を何人か知っているというのです。縁があれば施療してみたいと言いますと、これまた話をしてみるというのです。偶然ですね。治してあげられたらよいのですが・・・。

 今日は、不思議な日・・・特異日です。
今日はやたら有名人の方に会う日です。
昼には歌手の岸田敏史君(「君の朝」という曲をヒットさせ、最近はミュージカルの舞台やテレビドラマ渡る世間は鬼ばかりの健二役で活躍しています)と話をし、夕刻には野沢那智さんと会い、夜には日本テレビの S さん、フジテレビの K さん(二人が出会わないように苦心しました)等々、マスコミ界の方ばかり。面白いですね。
 夜、歌手の I さんが施療に来られ、寿司の差し入れ。これがまたばか旨!
珍しい形の寿司なので写真を撮ればよかったと残念がっています。
 また、例の慶応ボーイの(大分オールドですが・・・失礼) O さんが来られ、天女茸の焼酎酒をいただきました。これもまた旨い!
そこで閃きました。昨日社長から名酒「森伊蔵」を頂いたばかりなのです。これだ!と思いましたね。
この「森伊蔵」で天女茸酒を造ってみようと思ったのです。
さっそく写真のように造ってみました。すこし日にちを置いて飲んでみようと思っています。むふふ・・・。楽しみです。

 今週はとんでもなく忙しい週でした。月曜など9人もが改魂するという状態。来客数が18人!昨日などはとても受け切れなくて初めてお断りしました。本当に申し訳ありません。連絡を頂いた方々にお詫びの気持ちでいっぱいです。必ず利用していただけるようにいたしますので、今回だけはお許しください。すみません。
 明日はオーストラリアからの客人二人が来られます。英会話は少し頭が痛いです。でも英会話は K 君に任せてしまえばいいか・・・。  ウン、そうしようっと・・・。(無責任!)
なにはともあれ、大勢の方に来ていただくのは楽しくてたまりません。そして、私の施療で少しでも身体が楽になっていただけるならこんな嬉しいことはありません。
頑張って、来られた方に少しでも喜んでいただけるよう努力します。そして、誠に有難うございます。

Photo

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2008年1月 7日 (月)

靖国神社奉納

 今日は正月恒例の靖国神社奉納の能楽、謡い・仕舞の会に行ってきました。
暖かく、絶好の初詣日和とあって、靖国神社は大勢の参拝客で賑わっておりましたよ。
久しぶりに会う顔、顔、顔・・・。
これだけでも来た甲斐があるというものです。
靖国の奥の院本殿で御祓いを受けたあと、能舞台に立ちました。
舞台も磨きをかけ、すっかりきれいになりました。ホント舞いやすい舞台になりました。

 連吟、仕舞、舞囃子と仲間とともに舞台に立ちましたが、途中で大森君の舞囃子を写真撮影しようとしていた時、不思議な現象がおきました。
私の身体が急に熱くなったのです。
不思議な感覚でした。
心で、「有難うございます」、と念じながらシャッターを押し続けましたが、予感どおり写した写真に不思議なものが写り込んでいました。
一つは大きな白い玉のようなものです。そのほかに非常にきれいな色彩をもった波のようなもの。そして龍のような形態をしている波動体でした。
これらのものが何かはわかりませんが、感じた仲間の一人は身体がすごく楽になったような感じがすると言います。私もこの波動を受けてから気持ちが良くなり、すごくハイテンションになってしまいました。不思議なことがあるものです。
靖国神社奉納は、今年で丁度40年目という節目の年です。
以前にも何度か心地よい感覚を受けたことがあり、その年はなにかしら良い事が起きたような記憶があります。
今年もなにか良いことが起きそうですので、この素晴らしい波動を道場に持ち帰り、生徒の皆さんや仲間や訪れてくれた方々に分けてあげようと思っています。

 夜は靖国参拝の仲間たちと神楽坂に繰出し、おおいに飲み、騒ぎましたよ。
イヤアー、楽しい仲間と飲む酒は本当に旨いものですね。お酒・・・バンザーイ!

 靖国に眠る英霊の方々、誠に有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。

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