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2007年12月26日 (水)

神々の世界

 お早うございます。朝の四時になりました。
恒例の稽古と会員の皆様への送氣の時間ですが、なぜか今日はパソコンに向かっています。
実は少し興奮ぎみなのです。
藤原家元から、教えを戴き、そして小冊子を戴きました。
「神言」の四魂と「神示」の四魂の栞です。(「神言」と「神示」の違いについては、深淵なる理由があり、長くなるのでまた何時か書きます。一つだけ言えることは、この違いは古神道の「形式」によるものではないということです。この違いには本当に深い理由があり、それを知ることは古神道に拘わる者ばかりでなく、易占を生業とする方々やスピリテュアルメッセージを発信する方々にとっての必須といえます。)

 「神言」と「神示」の内に、私を興奮させる言葉が示されておりました。
予言的な内容にはショックは受けません。しかし、その大元として示されていた言葉にショックを受けたのです。
事象の具現化は人間の業(ごう)のなせるもの。致し方なきにしもあらずなのですが、意識を持つまでに進化した人類という生物が、その「集合的無意識」の根底において必要とされる「なにか」を今捨て去りつつあることにたいする警鐘が恐ろしいのです。
  

 遠い遠い未来において、恐竜時代を語る我々のごとくホモ・サピエンスについて語る「ある生物」の「人類」への評価。
[人類という生き物は殺戮によって、種の保存を図ってきた生物なのだ。
その殺戮の凄まじさは同種でさえもその対象とするほどなのだ。つまり自身の肉でさえ食らう生き物なのだから、自分が拠って立つこの星を食らうことになんらの躊躇をすることもなく、自然を破壊し、宇宙の奇跡ともいうべき美しいこの星を危機に陥れた。]
・・・あなたは人類に対するこのような評価に耐えられますか?
人類という種は、救いようのない劣悪な種とも思える愚行を繰り返してきた。
私も、人類という種は三つの類に分けられるのではないかと考えてきた。
一つは神の化身として、人類をより高度な種に高めようとわが身を捨てて導きの先導となっていった人々。
一つは欲と邪に満ちた「鬼」。
そしてもう一つは一番数の多い、双方の要素を持ち、時々刻々変化して異とせぬ人々。(私もその一員に違いない)
これではまるで、人間の腸内の善玉菌、悪玉菌、そして日和見菌の構図ではないか・・・。

 教えていただきました。
「神言」の中に、私自身を含めて悩める心に光の言葉があったのです。宗教世界など超越した教えでした。「五の意」「三つぎの仕組み」についてここで述べることは出来ませんが、私なりに身に付け、生徒さんたちとこの興奮を分かち合いたいと思っています。

[霊継ぎの元親神  五の意を乗り乗らせ  置かれ  集(つの)われる。  再びの示し   ゆえ、我折りて  おのれのお役  素直に三つぎの仕組みに進むこと・・・
五で動かし器持たすは霊継ぎに関われる魂ゆえ  三つぎの御用への神はからいに有る。・・・] 

誠に、有難うございました。 
   

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