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2007年11月13日 (火)

神示し

 またまた、私の師である家元からお手紙を戴きました。そして、神前に「神示」が降りているので読むようにという電話まで戴きました。
神示しを読んで、そのあまりの重要性に、これはどうしても次の教室で生徒さん方に話さなければと驚いています。

 私は、気功を主に5歳の頃から長和尚に教えられた密教、そしてこの十数年学んできた古神道を加えながらの活動を続けていますが、少しずるい考えを持っているのかもしれません。
それは、私の目的とするところが、人々の健康と強い運勢を獲得するところにあるからで、古神道を目的の手段として利用するところが無きにしも非ずなのです。
しかしそれは、気功や密教で病を癒し、運勢を良くするように、古神道にも大変効果的な行法があることを知ってしまったからです。本来ならばもっと無上至尊の神道に帰依し、一切諸神に奉るべきところなのでしょうが、私はまだまだ世情の柵から離れることが出来ないでおります。師に本当に申し訳ないと思っております。
そんな私にこのような重要な「神示し」を教えてくださる藤原師には頭が下がるばかりです。(師の神示しについての詳しい記事は「アネモネ」12月号で掲載されております。)

 ところで「神示」とは何でしょうか。
最近スピリチュアル・メッセージという言葉がよく聞かれますが、同じようなものなのでしょうか。
 実は、まったく違います。
スピリチュアル・メッセージを発する著名な先生数人に教えを受けてきました。
また、「神示」について神職者の方々に質問し、私自身も古神道を学び、神職正一級位を頂くほど学んできました。
もちろん、十数年ぐらいの修養では、まだまだ門口に立った程度の理解でしかないのですが、スピリチュアル・メッセージ(以下Sp.と略します)と神示、そして易学について浅学ながら述べてみたいと思います。疑問、反論のある方はどうぞ教えてください。私ももっともっと勉強したいのです。

 「神示」がSpや易学と決定的に違うところは「氣与め手」といわれる人々の存在です。
この方たちは、「私が氣与め手である」とは決して言わないので、一般の人々には目につきにくく、その存在がわかりません。神道の世界に入って初めてその存在を知り、語り合うことが出来ました。「氣与め手」の方々は、いわゆる「種人」で神の身元で目覚めようとする魂をもった人々です。ですから一切の「欲」を浄化した方々です。神示しはこのような方々を通じて神の教えが示されたものなのです。だから、そこには一切の金員の存在はありません。この方たちは人知れず神の警告と予言に従って、人類の安寧のために努力してくださっています。その活動と努力には本当に頭が下がる思いです。

 易学は、所謂統計学です。
人類の英知を結集したと言ってもいいほどの内容を含んでいます。
しかしながら、確率で判断するこの学は、担い手の力量に大きく左右されるという問題があります。いわゆる当たる、当たらないということですが、当たらないからといってそれを「易学」の所為にするのは間違っていると思います。「易学」は素晴らしい智を含んでいます。当たらないのは易を立てる人の力量が足りないためで、「易学」のせいではありません。
もっとも易を立てる人の力量を簡単に測る方法があります。
未来はともかく既に起きてしまって確定している過去のことを聞いてみればよいのです。
「易学」を本当にモノにしている人なら100%当てることでしょう。

 次に、Spについてですが、私が教えを受けた方々は、そのメッセージがどのようにして出てくるのか語ってくださいましたが、人それぞれなのです。
本物であるのは疑う余地もないのですが、その内容があまりにも抽象的な人もいます。
まるでノストラダムスの預言書みたいな感じです。
またある方は、断言的な物言いをします。ここのところが重要なところだと思います。
Spを発する方々は、本物の力を持った人でさえ、自身では気が付いていない大きな矛盾を抱えています。

 ところで、本物という言葉が出てきましたが、これは言い換えなければなりません。本者、とニセ者とです。
易学的占いは統計学なのでかまいません。当たらなければ人が寄ってはこないからです。しかし、Spの担い手はちがいます。メッセージなのです。
当たる当たらないの範疇を超えて、人々は自分の未来(将来)の保障的思いでそれを受け取る場合があります。迷っているときの指針として受け取る場合もあるでしょう。
その人々を責めることはできません。何故なら「運」という摩訶不思議なものに結構左右されるのが人生だからです。迷える人々に向かって「そんな、外からの情報を当てにせず、もっと内側の自分の判断力を磨きなさい」というのは、逆に人生を判っていない人の言い草でしょう。そして、本当に素晴らしいSpを伝えてくれる担い手もいるのですから・・・。
しかし、ニセ者には本当に注意してください。世の中すべからく本者のいるところニセ者がいて、ニセ者のほうが計るだけはびこり易いのですから。ホンモノ・ニセモノを見分ける方法を確立してから相談するというのも方法の一つかもしれませんね。

 昨日、能舞台に立ってきました。能舞台の後ろの壁に大きく描かれている松の絵をご存知だとおもいます。あれは、写しみの鏡なのです。鏡の前で幽現取り混ぜた物語が展開するのです。
神示しや易やSpも少し似たところがあると思いませんか。
神や霊、そしてオーラや過去生と言ったところで証明することは出来ません。
だから人それぞれの物言いになります。私はこの世界に嵌ってしまった人間ですから、それらの存在を確信しています。間違いなくアリマス。
しかし、人間界というものは、おかしな世界です。しかも人間は変わります。
先日、ディーパック・チョプラ博士のセミナーに行ってきた事はこのブログで報告したと思いますが、あの素晴らしかった博士でさえ変わっていました。・・・悪く。
20世紀の英雄と讃えられた博士はいませんでした。十分にお金をかけたスタイルと、ややメタボぎみの体型,そしてその講演内容は、期待が大きかっただけに失望しました。

 ホンモノとの出会い・・・。「運」に左右され難しいことかもしれませんが、皆さんが私と同様、素晴らしい人と出会うことができますように・・・。

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