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2005年12月13日 (火)

さらなる邂逅

 K師のもとを離れたものの、氣功の効用と奥の深さは私の興味を失せしめることはなかった。数々の文献を漁り、都内の幾多の氣功師をたずね歩いた。しかしそれは「師」を求めての探訪ではなかった。「師」を求めることはもうやめようとも思っていた。そして人を買いかぶることも・・・。理想の師?、そんな存在は物語の世界のことにすぎない、とも思っていた。

 ところが、そのような日々に明け暮れていた私に、決定的な出会いが訪れたのである。

 子供のころからいつも思うことであるが、私の人生は本当にツイテいる。特に、人間関係は驚くほどツキまくりである。いままでの人生において、イヤな人と出会ったことがない!。これは本当です。もちろん、K師のように別れる人もいるが、それでも私は今でもK師が大好きである。離れていった人たちでも、その個々人を思い浮かべると、「ああ、あの人も大好きだなア。」としか思えない人ばかりなのである。そればかりか、私は友人たちに「人生の命」まで助けられているのである。言ってみれば、「自分より信頼できる友人」とでもいうべき人たちがたくさんいる。本当に有り難いことで、心から感謝しております。

 今は幽、現、境を異にしてはいるが、「劉先生」は買いかぶる必要などまったくない人物であった。一言でいえば、自然児である。人間臭い俗人でありながら、聖人である。ほんとうにそうとしか言いようのない人なのである。さらに、自分の恥部をさらけ出してテンゼンとして動じない人物である。自然に、自然に、あるがままに。これが劉老師のもっとも大きな教えであった。後に、私が師から自分の流派を名乗ることが許された時、「自然流」と名ずけたのは当然であった。

 面白くも、厳しい修行の日々が過ぎた。今思っても、私の人生でおそらく一番時間が速く過ぎた日々であったろう。心に残る師の言葉やエピソードは数多いが、一つだけ記しておこう。

 「人と人の出会いは、功罪相半ばする。人との出会いが人生の本当の宝なので、人と人は出会いを求めざるをえないが、出会わなければよかった・・・と思う場合もないではない。一期一会と思ったものの、憎しみなどが発生する出会いも避けがたい。しかし、私との出会いに関しては、楽観してよい。どんなに憎しみあって別れたとしても、あなたの人生で私に会わなければ良かったという思いは起こさせませんよ。」

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