« 早くも忘年会 | トップページ | さらなる邂逅 »

2005年12月 9日 (金)

修行そして別離

 道場における空手と氣功の稽古が始まった。稽古は大変楽しいものであった。新しい技を覚えることの新鮮な驚き、動かなかった自分の身体が動くようになる楽しさ・・・。こんな面白いことはないと思う日々であった。

 そんな修行の合間に、K師は様々な「不思議」を披露してくれた。指で自然石を割る。数人の弟子に思い思いの花をイメージさせそれを当てる。酒やタバコの味を変える。ティッシュで割り箸を割る、等々。驚くべき業の数々である。

 ところが、度し難いとは私のことで、そのような不思議を見せられるたびに、逆に以前の猜疑心が頭をもたげてくるのである。

 「何故、十分魅力的な師匠がこんな手品じみたことをするのか・・・。」

 惚れた人を偶像化してゆく。・・・あこがれのスターはトイレにも行かない。一昔前の素朴な人間を気取る気はさらさらないが、K師に対する私の心根には幾分そのような感情が含まれていたのかもしれない。氣功というもの、そしてK師にたいする独善的固定観念が生じていたようだ。そして、K師と氣功修行が私の生活と人生に、あまりにも深く拘わりすぎてもいた。

 偶像に対する過度の思い入れは、壊れはじめると、人にどのような感情をもたらすのか。くすぶり始めた私の道場生活に、ある日決定的なことが起こる。詳しく書く気は毛頭ないが、人間の感情、特に猜疑心と嫉妬心ほどやっかいなものはない。その感情を向けられたとき、人は無難なほうを向き、痛手の少ないほうを切るときがある。切られるほうはたまらない。のめり込む感情が深いほど痛手は大きく、堪える。・・・私は耐えることが出来なかった。 

|

« 早くも忘年会 | トップページ | さらなる邂逅 »

氣功世界」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141352/7535652

この記事へのトラックバック一覧です: 修行そして別離:

« 早くも忘年会 | トップページ | さらなる邂逅 »