« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月

2005年12月30日 (金)

良いお年を!

 O君から、「安保徹」新潟大学医学部教授の著した、免疫学の本をかりた。
大変面白い本で、夢中で読んでしまった。なにしろすごい!がん患者に「放射線療法」「抗がん剤」「手術」をするなという書き方で、西洋医学の教授が書いた本だけに大変おどろいた。もう少し、詳しく安保教授の論を知りたいと思い、新宿紀伊国屋まで行き、5冊も教授の本を買ってしまった。見ると、同じ棚に免疫学に異質の立場をとる本もあったので、これも購入し、結局9冊も買うことになってしまった。しかし、本は重いものですね。しかしこれで正月は退屈せず、楽しんですごせそうです。感想はまた読んでからいたします。

 本年は今日で道場も終了です。夜、大好きな池田先生が来られ、二人でいろいろな話題で大いに盛り上がりました。楽しい人は本当に「宝」ですね。では、また来年・・・。良いお年を!!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月25日 (日)

DSC-Lo1 DSC-Lo2         

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忘年会

 昨日は、今年最後の稽古日とクリスマスイヴが重なったということで、ささやかなパーティを開きました。スキヤキとしゃぶしゃぶという鍋の大関揃い踏みです。

 生徒さんのほかに平原御夫妻、そして「整体好き」の私が感激し、「日本一!!」と呼んだ三原先生までおいで頂き、楽しいひとときを過ごしました。このメンバーで来年はおおいに人のお役に立ちたいものだと口角泡を飛ばしてハッスルし、・・・酔いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月24日 (土)

素敵な若夫婦

 昨日、道場に素敵な若夫婦がまた来られました。じつは私の勘違いで土曜日に来られると思っていたのですが、約束は昨日でした。私は田舎に帰っていたので、こりゃあ大変!と電車に飛び乗り、急いで戻って来ました。

 O御夫妻は、奥さんが乳がんに罹り、治療のため4月から当道場に来られているのですが、二ヶ月前ごろから癌はほとんど消え、最近はお互いに馴染んだこともあり、会話も楽しく、明るい雰囲気です。そのご主人がまた大変素敵な男性でして、私も三人の娘を持つ父親なので、娘がこんな人といっしょになってくれたらなあ・・・と思ったりしておりました。

 その彼が夫婦で行った海外旅行の写真を見せてくれました。エジプトのピラミッドで王の石棺に横たわった写真には笑わせられましたが、その後見た南米の写真にはびっくりさせられました。ティオティワカンやマチュピチュ遺跡の写真に続いて南米のある町の夜景の写真に無数のオーブが写っているのです。聞けば隣で写した人の写真にはオーブは一つも写ってなく、また続けてうつした彼のフィルムにもオーブはひとつも写っていないということです。実に幻想的な写真ですので、このブログに掲載させていただきました。

 そういえば、以前、彼との写真を奥さんに写して頂いた時、二人の身体の周りを紫の光が取り囲んでいる写真が写ったこともありました。なにか彼にはそのような力があるのかもしれませんね。私は冗談でピラミッドの王棺で寝たからではないか、と言ってやりましたがネ。

 とにかく楽しい夫妻で、また来年早々会えるのが楽しみです。

peru2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月19日 (月)

多治見会長

 今日は久しぶりに大泉学園まで行ってきた。多治見のオヤジさんに会うためである。多治見会長は、私が上京してから何かとお世話になっている恩人である。樹徳館道場の名誉館長をお願いしている「岡本医学博士」を紹介していただいたのも会長からであるし、辿っていくと、この田端に道場を持つことが出来たのも、「市川先生」と知り合うことが出来たのもみんな会長の御蔭なのだなあ・・・。本当に感謝しております。

 久しぶりに会った会長は、まったく変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。「もう71歳になったよ。」と言いながら、そのダンディぶりはすこしも衰えない。さすが昔からの遊び人(失礼)。ジャズが好きで、日大芸術学部の学生時代には白いオープンカーで通学したというツワモノであったそうで、いまでもベンツのスポーツタイプを乗り回すかっこよさ!大泉学園のシャレタお店でご馳走になった。本当に心が温かくなる時間でした。疲れた時は、会長の顔を見るのがいい。そして思う。私はしあわせだ。こんな先輩がいる・・・。西武線の電車で戻りながら、車中でニヤニヤしてしまった。周りの人はチョット気味が悪かったのでは・・・。ほんとうに、いつも思う。人生の宝は・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月18日 (日)

アインシュタイン博士の言葉

 最近、新聞やテレビを見ることが辛くありませんか。耐えられないニュースばかりです。「人間」はいったいどうしたのでしょうか。特に我々日本人には、歴史をみてもこんな殺伐とした時代があったのでしょうか。とても信じられない惨状です。中学生のころ「小泉八雲」の書いた日本人論を読んで、日本人であることに大いなる誇りを持った昔。あの日本人であることの感激は今や悲しみでしかないのです。若い人たちに誇りを与えることができない我々中高年の責任を痛感しています。

 しかし、私の周囲の人々を見回してみると、今の日本の落ちた状況が信じられないほど、素晴らしい人ばかりなのです。これはいかにもおかしい。一昨日もN弁護士の招待で六本木の集まりに参加させていただきましたが、20歳代から70歳代と世代を越えた集まりにもかかわらず、素晴らしい人々ばかりなのである。おかしい・・・。これほど素晴らしい人が多いにもかかわらず、何故、世の中が素晴らしい流れを「本流」としないのか。私の知らないいやな人間の多い「世間」という人の流れが「本流」としてあるというのか。私にはわからないが、回りの素晴らしい人々とともにすこしでも「小泉八雲」が讃えた日本、そして日本人に立ち返りたい。皆さん、アインシュタイン博士が日本を訪れたとき残された言葉をご存知ですか。

「世界の将来は進むだけ進み、その間、幾度か争いが繰り返され、最後に戦いに疲れる時がくるであろう。その時、世界の人類は必ず真の平和を求めて、世界的盟主を上げねばならない時がくる。この世界的盟主となるものは、武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を超越する最も古くかつ尊い国柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我々の為に日本という尊い国を作ってくれたことを・・・。」

 アインシュタイン博士が、我々を買いかぶっていたのではないことを示したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月14日 (水)

これからの氣功世界

 いま私は、氣功法をベースに、異なった世界に存在する「力」を結集し、健康を保ち、運勢をよくする方策を確立したいと考えております。自身の健康を確保しつつ、求める人々の健康に寄与するということは、いまのところ一定の成果をもたらしてはおります。

 しかし、人間の可能性はこんな程度であるはずがない、というのが私の考えです。       先人の作り上げた方法に、それなりの「力」が存在することはもちろんですが、前述したように「氣功法」は発展する行法なのです。まだまだ、未知の力を秘めているに相違ありません。一歩先に、私達の見知らぬ「力」の存在する世界があるに違いありません。そう思うと、ワクワクする気持ちを抑えることが出来ません。稽古にも力が入るというものです。

 氣功の世界の重鎮、帯津良一博士が、病気治療や健康維持の方法論について語られるとき「何でもあり」ということをよく述べられます。まったくそのとおりであると思います。その「何でも」の部分に、もっともっと新しい「力」を見つけ出したいものです。

 「新しい力」を生み出すことが出来るのか・・・。

 どんな新しい発見と出会えるのか・・・。

 そしてまた、その道程で何が起こるのか・・・。

 人生半ばからの挑戦ではありますが、私はこの人生で必ず何かを生み出すことが出来ると信じております。

 これまでの、私と氣功との関わりについて簡単に振り返ってみました。次は、現在の私の「氣功力」の可能性と限界について客観的に見つめなおしてみたいと思っております。少し時間をください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

氣功の効果

 氣功の効用はどれほどのものなのか。氣功そのものに否定的な考えを持つ人の多かった10年ほど前、私は自分の氣功能力に今ひとつ自信を持てないでいた。

 「羊と山羊の問題」と呼ばれる現象がある。超能力などの実験を行うとき、信奉者(羊)の主催する実験ではその存在に肯定的な結果がでるのに対して、懐疑的な者(山羊)の主催する実験では、まったく逆の否定的な結果がでてしまうことを言うのであるが、超能力の実験と同じように、氣功の施療でも同じような現象が起こるのである。

 医学でいう、プラシーボ効果と似ているが、これは一体どういうことなのであろうか。求めて道場に来る人々には、私の施療も一定の効果を示すことができる。しかし、懐疑的な人にはまったく何の効果も現われないのである。私がK師に腰痛治療を受けたときは、疑念を抱きつつも、あれほどの効果を上げたではないか。・・・私にはまだ力が足りないのか。

 もう一つ、重大な悩みが起きていた。施療の後、私の体調が著しく悪くなるのである。(これは、氣功師の多くが抱える悩みのようで、K師もガン治療の後、体調を崩し、以後氣功治療を止めてしまった。)劉老師などは、はなから氣功治療とは種々の氣功法、導引法を教えることであって、氣功師が施療するものではないという考え方をしているほどである。しかし、私はどうしても施療を行いたかったのである。

 何か方法はないものか・・・。

 本当に私の人生はツイテいる、恵まれている、としか言い様がない。そんな時、A先生と巡り合うのである。A師は、古神道、いわゆるカンナガラの道を研鑽する方である。今でも思い出すが、先生主催の展示会が行われていた池袋に、詳しい場所も知らず引き付けられるように尋ねたことがある。池袋駅を降りてあてもなく歩いていると、先生のにこやかな顔が目の前にあるではないか。ウソのような話であるが、私が歩いた道筋は駅から最短のものであった。しかもその日は最終日。おまけに閉館まであとわずか30分! 「よく間に合ったね。」先生は、笑顔で恐ろしいことをさらりと言う。「今日来れなければ、あなたは死んでいましたね。」・・・実際、私は異常に体調の悪さを感じていたので、鳥肌の立つ思いをしたものです。それから師は私の身体を蝕んでいる濁氣を、わずか40分程で消し去ってくれたのである。

 この方法を会得すれば、氣功療法を続けることが出来る!

 私は欣喜して古神道の世界に足を踏み入れた。

 生来、私は宗教の組織、団体を信じない。釈迦、キリスト、ムハンマドは信じるが宗教団体というものにどうしても馴染めないでいる。 しかし、宗教家といわれる人の中に、素晴らしい人間性を持った人がいることは知っている。そして、氣功導引法以外にも、同じような能力を秘めている世界があることも知ったのである。その後、私は古神道を研究するかたわら、密教やK.K先生の「霊氣」,I 先生のニュー医療機器等、いわゆる代替医療の世界に大きな興味を持つようになっていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月13日 (火)

さらなる邂逅

 K師のもとを離れたものの、氣功の効用と奥の深さは私の興味を失せしめることはなかった。数々の文献を漁り、都内の幾多の氣功師をたずね歩いた。しかしそれは「師」を求めての探訪ではなかった。「師」を求めることはもうやめようとも思っていた。そして人を買いかぶることも・・・。理想の師?、そんな存在は物語の世界のことにすぎない、とも思っていた。

 ところが、そのような日々に明け暮れていた私に、決定的な出会いが訪れたのである。

 子供のころからいつも思うことであるが、私の人生は本当にツイテいる。特に、人間関係は驚くほどツキまくりである。いままでの人生において、イヤな人と出会ったことがない!。これは本当です。もちろん、K師のように別れる人もいるが、それでも私は今でもK師が大好きである。離れていった人たちでも、その個々人を思い浮かべると、「ああ、あの人も大好きだなア。」としか思えない人ばかりなのである。そればかりか、私は友人たちに「人生の命」まで助けられているのである。言ってみれば、「自分より信頼できる友人」とでもいうべき人たちがたくさんいる。本当に有り難いことで、心から感謝しております。

 今は幽、現、境を異にしてはいるが、「劉先生」は買いかぶる必要などまったくない人物であった。一言でいえば、自然児である。人間臭い俗人でありながら、聖人である。ほんとうにそうとしか言いようのない人なのである。さらに、自分の恥部をさらけ出してテンゼンとして動じない人物である。自然に、自然に、あるがままに。これが劉老師のもっとも大きな教えであった。後に、私が師から自分の流派を名乗ることが許された時、「自然流」と名ずけたのは当然であった。

 面白くも、厳しい修行の日々が過ぎた。今思っても、私の人生でおそらく一番時間が速く過ぎた日々であったろう。心に残る師の言葉やエピソードは数多いが、一つだけ記しておこう。

 「人と人の出会いは、功罪相半ばする。人との出会いが人生の本当の宝なので、人と人は出会いを求めざるをえないが、出会わなければよかった・・・と思う場合もないではない。一期一会と思ったものの、憎しみなどが発生する出会いも避けがたい。しかし、私との出会いに関しては、楽観してよい。どんなに憎しみあって別れたとしても、あなたの人生で私に会わなければ良かったという思いは起こさせませんよ。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 9日 (金)

修行そして別離

 道場における空手と氣功の稽古が始まった。稽古は大変楽しいものであった。新しい技を覚えることの新鮮な驚き、動かなかった自分の身体が動くようになる楽しさ・・・。こんな面白いことはないと思う日々であった。

 そんな修行の合間に、K師は様々な「不思議」を披露してくれた。指で自然石を割る。数人の弟子に思い思いの花をイメージさせそれを当てる。酒やタバコの味を変える。ティッシュで割り箸を割る、等々。驚くべき業の数々である。

 ところが、度し難いとは私のことで、そのような不思議を見せられるたびに、逆に以前の猜疑心が頭をもたげてくるのである。

 「何故、十分魅力的な師匠がこんな手品じみたことをするのか・・・。」

 惚れた人を偶像化してゆく。・・・あこがれのスターはトイレにも行かない。一昔前の素朴な人間を気取る気はさらさらないが、K師に対する私の心根には幾分そのような感情が含まれていたのかもしれない。氣功というもの、そしてK師にたいする独善的固定観念が生じていたようだ。そして、K師と氣功修行が私の生活と人生に、あまりにも深く拘わりすぎてもいた。

 偶像に対する過度の思い入れは、壊れはじめると、人にどのような感情をもたらすのか。くすぶり始めた私の道場生活に、ある日決定的なことが起こる。詳しく書く気は毛頭ないが、人間の感情、特に猜疑心と嫉妬心ほどやっかいなものはない。その感情を向けられたとき、人は無難なほうを向き、痛手の少ないほうを切るときがある。切られるほうはたまらない。のめり込む感情が深いほど痛手は大きく、堪える。・・・私は耐えることが出来なかった。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 6日 (火)

早くも忘年会

 今日は、某テレビ局の番組の忘年会。タレントさん、大勢のスタッフ、楽しい一日でした。指名されて次々に演台に上がり、トークするタレントさん達の話術のうまさに驚いた。よくマア、アンナに面白く語れるもんだ。一流といわれるタレントさん達の、アドリブもきく才能に感服するとともに、このぐらいの能力を秘めていなければ売れないのだというこの世界の厳しさも一寸感じた一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 5日 (月)

氣功と私ー2

 初めてk師匠にお会いしたのは、昭和58年のことです。九州阿蘇山ですごい修行を積んでおられる先生が来られるから、是非会いに来い、という知人からの連絡でお目にかかり、世俗の汚れを微塵も感じさせない清廉な印象に強く打たれたのを覚えております。

 翌年、その知人が世話役となり、つくば市に道場が開設されました。稽古は、氣功太極拳と空手の修行を主にするということで、私はすぐにでも入門したかったのですが、その時、極度の腰痛に悩まされておりました。整体、指圧療法、電気治療、鍼灸、そして注射治療等々、様々な治療を受けておりましたが一向に良くならず、激しい運動は諦めざるを得ない状態にありました。

 残念ながら入門できない旨を報告にK師匠のもとを訪れました。理由を述べると、K師匠は私に身体を横にするように言い、なにやら治療を始めたのです。それは、いままで受けたことのない不思議な感覚をもたらす施療でした。触れていない師匠の手のひらに引っ張られるような感覚、そして頭の芯まで痺れるような痛みをともなう指圧等々。なんと驚いたことにその時のたった一度の施療で腰の痛みが消えたのである。その後、5日間ほどの間隔で3,4度施療していただき、1年以上も私を悩ませていた腰痛は完全になくなったのである。(それから20年以上、一度も腰痛に悩まされたことはない) これは何だ。自身の肉体に起こったことだけに、そして様々な治療法を試してきただけに、私は「氣功」の力を容認せざるを得なかった。・・・私が入門したのは当然であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »